原田芳雄さん 被災地ライブ希望していた…

[ 2011年7月22日 06:00 ]

原田芳雄さんの祭壇

 上行結腸がんから併発する肺炎のため19日に71歳で亡くなった俳優の原田芳雄さんの通夜が21日、東京・青山葬儀所で営まれた。岩下志麻(70)、宮沢りえ(38)ら約1200人が参列。遺作となった映画「大鹿村騒動記」を手掛けた阪本順治監督が弔辞を読み「芳雄さんがいる場所はどこも映画の一場面のようでした」と、最後まで映画人として生きた原田さんを悼んだ。

 バラやかすみ草など白い花だけで飾られた祭壇は、スクリーンをイメージして長方形に組まれた。中央には、右頬づえをつく原田さんの遺影。「最後までスクリーンの中の原田さん」がコンセプトで、「大鹿村…」の美術を担当した原田満生氏が手掛けた。

 遺影は09年の映画「ウルトラミラクルラブストーリー」の取材時に撮影され、本人も気に入っていた一枚。会場には74年の映画「竜馬暗殺」で撮影された龍馬姿の特大パネルなどが飾られ、08年の誕生日に開催したライブ音源などから「蒼い影」など5曲が流された。

 祭壇前には、「I・W・HARPER」をもじって「I・W・HARADA」とラベルを張り替えたバーボンのボトルが供えられた。

 今年2月の誕生日パーティーに長男でミュージシャンの喧太(41)が贈り、原田さんが亡くなった19日夜に俳優仲間が原田さん宅で開封したものだ。ライブで使用していたギターとマイクスタンド、真っ赤なタオルも置かれた。

 阪本監督は弔辞で「芳雄さんがいる所はどこも映画の一場面のようでした。病室もセットのようで、今、眼前で横たわる芳雄さんを見ても映画のクライマックスのようです」と声を詰まらせながら追悼。08年に大腸がんが見つかった後、余命わずかと悟っていたことに触れ「余命を知りながらカメラの前にたつ芳雄さんを演出するのは正直きつかった」と吐露し「痛みに顔をゆがませ、耐えに耐えた芳雄さん。もうクランクアップです。“カット”は僕らが言います。打ち上げは浄土で(松田)優作さんや勝(新太郎)さんと楽しく大騒ぎしてください」と遺影に語りかけた。東日本大震災の被災地でライブ開催を希望していたことも明かした。

 故人と家族の意向で戒名はつけない。葬儀・告別式は22日正午から同所で営まれ、俳優の石橋蓮司(69)らが弔辞を読む。

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