「日本一のおばあちゃん」北林谷栄さん静かに逝く

[ 2010年5月7日 06:00 ]

映画「阿弥陀堂だより」の製作発表記者会見で、寺尾聡(左)に手を引かれて会場に入る北林谷栄さん。右は樋口可南子(01年5月、東京・銀座のホテル)

 劇団民藝の創立メンバーで「日本一のおばあちゃん役者」として親しまれた女優の北林谷栄(きたばやし・たにえ、本名安藤令子=あんどう・れいこ)さんが4月27日午後8時40分、肺炎のため東京都世田谷区の病院で死去した。98歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行った。後日民藝がお別れの会を開く。喪主は長男河原朝生(かわはら・あさお)氏。90歳を過ぎても舞台や映画に活躍した名女優だった。

 今月21日の白寿を前にしての旅立ち。遺族の意向で葬儀を済ませてからの発表となった。劇団民藝によれば、北林さんは90歳を過ぎてから都内の特別養護老人ホームで余生を送っていたが、4月中旬に肺炎を起こして入院。同27日、家族にみとられて静かに逝った。
 1947年に民衆藝術劇場(第一次民藝)の結成に参加。50年には滝沢修、宇野重吉らとともに劇団民藝(第二次民藝)を設立し、看板女優として活躍した。20代後半から老け役を得意とし、59年の映画「キクとイサム」では役作りのために前歯6本を抜くなどしてすさまじい女優魂を見せつけた。70歳を前にした80年には半年間の英国観劇留学も体験。演劇に対する情熱は少しも衰えをみせなかった。
 代表作には63年の初演以来450回以上も神部ハナ役を演じた「泰山木の木の下で」や、自ら脚色も手掛けた「粉本楢山節考」などがあり、03年に再演された「泰山木の木の下で」が最後の舞台となった。映画の世界でも今井正、市川崑、今村昌平といった巨匠から声がかかり、「ビルマの竪琴」「にっぽん昆虫記」などで迫真演技を披露。89年には動脈瘤(りゅう)破裂で再起が危ぶまれたが、91年公開の「大誘拐 Rainbow kids」で完全復帰。紀州一の大富豪を貫禄十分に演じ、毎日映画コンクールの女優主演賞に輝いた。02年公開の「阿弥陀堂だより」では90歳での出演が話題を呼んだ。
 「阿弥陀堂…」の小泉堯史監督(65)は「(主人公の孝夫は)どなたがおやりになるの?とお聞きになるので、“寺尾聰さんです”と答えると“聰ちゃんだったら一緒にやりたい”と受けていただきました。お父さんの宇野重吉さんとは同志のような関係。寺尾さんが子供の頃からかわいがっていたそうです。衣装から小道具まですべてご自身で用意されてこられる方でした。撮影が終わったときにはボロボロお泣きになったのが忘れられません」としのんだ。寺尾は7日に都内で開催される批評家大賞の授賞式に出席し、その場でコメントする予定だ。

 ◆北林 谷栄(きたばやし・たにえ)1911年(明44)5月21日、東京都生まれ。36年築地小劇場の「どん底」で初舞台。「泰山木の木の下で」のほか「タナトロジー」「黄落」でも紀伊国屋演劇賞受賞。「キクとイサム」で毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の主演賞をダブル受賞するなど映画賞も多数。78年紫綬褒章。結婚し1男1女に恵まれたが、その後離婚。著書に「蓮以子八○歳」「九十三齢春秋」など。

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