藤間紫さん通夜 猿之助「一番大切な人」

[ 2009年3月30日 06:00 ]

藤間紫さんの遺影と祭壇

 27日に肝硬変による肝不全のため、85歳で死去した女優で日本舞踊紫派藤間流家元の藤間紫(ふじま・むらさき、本名喜熨斗綾子=きのし・あやこ)さんの通夜が29日、東京都台東区の寛永寺輪王殿で営まれた。夫で喪主の歌舞伎俳優・市川猿之助(69)は、最愛の妻の死去後初めて「いつまでも少女のような紫さんは、一番大切な人でした」とコメントを発表した。

 藤間流に入門した12歳の時「将来、結婚する」と公言した“初恋の相手”。結ばれるまでに約50年かかったが、それでも猿之助にとっては夫婦として過ごしたこの9年間は至福の時だった。
 出会った時の印象が忘れられないのか、公表した文書では「いつまでも少女のような紫さんは、私にとりまして一番大切な人でした。私の歌舞伎俳優としての今日がありますのは、紫さんのおかげです」とつづった。コメントを発表するまで立ち直りつつあるようだが、喪主として最前列に座った式場では、おなかの前でずっと合掌。棺を見つめていた目は時折、ギュッと閉じられた。
 約3000人の弟子がいる紫派藤間流。その切り盛りだけでなく、藤間さんは猿之助が率いる「澤瀉(おもだか)屋」一門の世話にも奔走。猿之助は「流派の総帥であるとともに、私の最高のマネジャーでありました。そして、私の一門の俳優にとりましては、母でもありました」と感謝。スーパー歌舞伎など「澤瀉屋」公演の成功の陰には常に藤間さんの存在があったからだ。
 猿之助は、女優の浜木綿子(73)と結婚していた当時から、歌舞伎公演などで紫さんの助力を得ていた。68年の離婚後は、実質的なパートナーとなり、85年に紫さんが夫の勘十郎(90年死去)さんから「不貞があった」と訴えられた時には精神的な支えとなった。03年に脳こうそくで倒れてからは、支えられる立場になった。
 「紫さんと私の志は、いつも同じものを見つめて生きてきました。その思いを忘れずに、これからも夢を追い続けていきたいと思っております」と猿之助。「悲しい…」ともらしながらも、700人もの弔問客に対応。目に光っていたものは、今後も“最愛の人”と生きていくという誓いのあかしだった。

 ≪祭壇 7種の紫の花で飾られる≫えび茶色の着物姿でほほ笑む遺影が置かれた祭壇は、藤間さんの名前にちなみ、スイートピー、バラ、カーネーションなど7種の紫の花で飾られた。遺影は13年前に宣伝用に撮影された1枚で、本人が気に入っていたものだという。棺の中には4月28日にNHKホールで出演予定だった公演用の着物など舞踊関係の品のほか、猿之助が色紙に書いたヤマトタケルの絵なども納められた。
 中村芝翫(81)中村富十郎(79)ら歌舞伎界の重鎮のほか、猿之助と浜の長男で俳優の香川照之(43)津川雅彦(69)らも弔問。津川は「テキパキとした姉御(あねご)肌でした」と思い出を語った。戒名は、優照院賢徳紫芳大姉(ゆうしょういんけんとくしほうたいし)。

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2009年3月30日のニュース