水森かおり“生みの親”との別れに涙の熱唱

[ 2008年9月26日 06:00 ]

水森かおりは「昨日のうちに涙を流してきた」と気丈に話したが、あふれる涙をこらえることができなかった

 ご当地ソングの女王こと歌手の水森かおり(35)がデビュー日の25日、東京・中野サンプラザで恒例のメモリアルコンサートを行った。

 「鳥取砂丘」などのご当地ソングの作詞を手掛けてきた作詞家、木下龍太郎さんが22日に肺がんで死去。24日に訃報に接したという水森は「きのう(24日)のうちに涙は流してきました」と気丈に振る舞った。しかし、歌唱した全22曲のうち「輪島朝市」「熊野古道」など木下作品9曲を歌うたびに声は震え涙があふれた。木下さんは昨年のメモリアル公演に駆けつけており、水森は「もう1回お会いしたかった」と沈痛な面持ちで話した。
 木下さんは02年発売の「東尋坊」で初めて水森に詞を提供。同曲は売り上げ30万枚を記録し、水森の出世作となった。翌03年の「鳥取砂丘」は50万枚の大ヒットとなり、同年、初のNHK紅白歌合戦出場を果たした。
 最後に会ったのは昨年末に「輪島朝市」をレコーディングした時。「先生がマスク姿だったので“大丈夫ですか”って聞いたら、“鳥取砂丘の(レコーディングの)時も風邪をひいてマスクをしていたから、この曲も売れるぞ”って言ってくださって。笑顔がやさしかった」と悼んだ。

続きを表示

2008年9月26日のニュース