水野晴郎氏が逝く…「シベ超」未完のまま

[ 2008年6月12日 06:00 ]

95年「シベリア超特急」で初監督の水野晴郎。主演のかたせ梨乃と笑顔でツーショット

 映画評論家の水野晴郎(みずの・はるお、本名山下奉大=やました・ともひろ)さんが、10日午後3時5分、肝不全のため都内病院で死去した。76歳。岡山県出身。昨年末から入退院を繰り返していたが、9日に容体が急変。葬儀・告別式は親族のみで行う。7月17日に東京・品川プリンスホテルで、水野さんが創設した「日本映画批評家大賞」主催でしのぶ会が開かれる予定だ。

 「いやあ、映画って本当にいいもんですね」の名せりふを残し、水野さんは旅立った。昨年末から度重なる骨折と持病の肝臓病で入退院を繰り返し、4月22日に再び検査入院。その後は1度も退院することはできなかた。“弟子”で俳優の西田和昭(49)がこの日、都内で会見。9日に容体が急変し「静かに眠るような最期だった」と明かした。
 映画好きが高じて、大学卒業後、20世紀フォックスに入社。日本ユナイト、インターナショナル・ピクチャーズと渡り歩き、“カリスマ宣伝マン”として「007/危機一発」など、映画史上にに残るタイトルを生み出した。
 アルフレッド・ヒチコック監督に心酔。念願の監督作「シベリア超特急」は、ヒチコックの名作「バルカン超特急」をもじったもの。03年の第3作の冒頭、主演の三田佳子(66)が船に乗り込む約15分間の長回しシーンで、黄色いスタッフ用のジャンパー姿で画面に延々と写り込んでしまうご愛嬌(あいきょう)もあった。スタッフに指摘されると「ヒチコックだって自分の作品に出てるだろ!」とニンマリ。関係者は「計算していたのかもしれませんが、負けず嫌いなところがある人でしたから」と話した。
 晩年は、その「シベリア超特急」一色。自身で山下奉文陸軍大将を演じていたことから、ファンからは「閣下」と呼ばれ大喜びしていたという。05年に沖縄・那覇で同作オールナイト興行を行った際には、地元の踊り、カチャーシーのパロディーCD「閣下チャーシー」まで自主製作。「いやあ、沖縄って本当にいいところですねえ」のせりふを吹き込み、スタッフと一緒になって楽しんでいた。
 入院中も試写室に顔を見せるなど、映画への情熱は最後まで衰えなかった。「シベ超」の第6、8作が未完なことを気にかけ、アイデアが浮かぶと西田らにメモを取らせていた。ビートたけし(61)に第8作への出演を依頼していたといい、西田は「(たけしに)監督もしていただければ喜ぶと…」と涙。生涯独身。まさに映画界にささげた人生だった。

 ◆水野 晴郎(みずの・はるお) 1931年(昭6)7月19日生まれ。慶大文学部卒業後、56年に20世紀フォックスに入社。72年から日本テレビ「水曜ロードショー」(85年から「金曜ロードショー」)の解説を約24年半務める。83年の参院選では新自由クラブ民主連合から立候補したが落選。96年に始まった「シベリア超特急」はマイク・ミズノの名前で監督。

続きを表示

2008年6月12日のニュース