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【棚橋×ウルフ1・4直前対談(1)】有終超満員!棚橋「最後にかなう」ウルフ「東京マラソンより多い」

[ 2026年1月1日 00:00 ]

アントニオ猪木さんの写真の前に立つウルフ(右)と棚橋(撮影・島崎忠彦)
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 1月4日、東京ドームのオカダ・カズチカ戦がラストマッチとなる棚橋弘至(49)と、NEVER無差別級王者EVILとのタイトル戦でデビューする東京五輪柔道100キロ級金メダルのウルフアロン(29)。引退後は新日本プロレスの社長業に専念する“100年に一人の逸材”と新柔道王による新日本イズム継承の新春対談だ。98年のアントニオ猪木引退試合以来28年ぶりとなる、悲願の札止め超満員。その熱を背に新日本の“新章”が始まる。 (取材・構成=森 俊幸)

 棚橋 明けましておめでとう。デビュー戦が迫ってきたね。俺も引退試合に向けてテンションが高まってるよ。

 ウルフ 明けましておめでとうございます。緊張感はありますけど今は前向きな良い状態。やるしかないですね。

 棚橋 ウルフは一つの競技を極めた選手。スパーリングで組んだ瞬間“これはやられる”という圧力があった。力の入れ方と抜き方が抜群。五輪金メダリストの名レスラー、カート・アングル(※1)と同じような柔らかさだったよ。

 ウルフ そう言っていただけるとうれしいです。

 棚橋 プレッシャーを力に変えてやってきた人間なのでノビノビやってほしい。プレッシャーを感じると、生きてんな~と思うよね。

 ――今回の東京ドームは猪木さんの引退試合(※2)以来となる札止め超満員。大観衆の前でリングに立つことになる。

 棚橋 いつか東京ドームを満員にしたいとの思いがあった。それが最後にかなう。美しすぎるレスラー人生です。ドームのメインでのシングルマッチは12回目だけど慣れない。広すぎて歓声が届くのが微妙に遅れるのでウルフには、それを気にせず戦ってほしい。

 ウルフ 日本武道館での全日本選手権でも観客は1万人もいません。東京五輪も無観客。超満員は“すげえ、東京マラソンよりも多いじゃん”と思いました(笑い)。僕は初めての試合。逆にフラットな状態でいけると思います。

 棚橋 95年のUWFインターとの対抗戦(※3)で武藤さんが高田さんに勝った時の歓声がすさまじかった。当時大学1年生で3階席で見ていた。あの歓声、レスラーになってから一度も経験していないよ。

 ――大舞台と言えば東京五輪の決勝は?

 ウルフ めちゃくちゃ緊張しました。五輪は4年に一度。1300日かけてやってきたことが1日の試合で終わる。そこで最高のパフォーマンスをぶつけないといけない。

 ――00年代、プロレス人気が冷え込む中で、ここまでのV字回復を果たした。分岐点となった試合はありますか?

 棚橋 09年の中西学戦(※4)ですかね。とくにブーイングが激しかった大阪の会場で大ナカニシコールの中、始まった。でも一生懸命向かっていったのが響いたのか、途中から「ナカハシ」「タナニシ」コールに変わっていき、最後は「タナハシ」一色。それから全国でのブーイングも減った。僕は見た目も発言もチャラいけど、プロレスに真摯(しんし)であるとの思いが伝わったのかもしれません。

 ウルフ 僕の分岐点は大学2年生の団体戦決勝。相手は筑波大で、81キロ級で後に五輪連覇する4年生の永瀬貴規選手。東海大の柔道部員は約140人いたんですけど、その思いを背負って負けた。8連覇を逃しました。

 棚橋 それは責任を感じるね。

 ウルフ それまでは自分がやりたいようにやっていた。いろんなスタイルの選手がいるのに臨機応変にできなかった。柔道は「“グー、チョキ、パー”」があるジャンケン。こいつに勝ったから強いというわけじゃない。相手に合わせて手札を変えることを学び、結果がついてくるようになったんです。

 棚橋 プロレスラーになろうと思ったきっかけは?

 ウルフ 大学の頃から好きでした。パリ五輪までやってやり残したことがないと思って決めました。自分が生きている証を証明し続けるのがプロレスの魅力だと思っています。

 棚橋 ウルフはすでに正解を見つけているよ。プロレスは生きざまを見てもらう競技。そのメッセージをファンに届けることが大事。

 ウルフ まずは自分の生きたいように生きる。そこでまた気づけることもあると思っています。

 ――プロレスラーは相手の技から逃げないというのも凄みの一つ。

 棚橋 技はよけても良いんですよ。でも猪木さんの“風車の理論”ではないけれど、弱い相手に勝ってもしようがない。相手の力を9引き出して10で返す。たまに相手の力を9引き出して8で負ける時もある。そのさじ加減はキャリアの中で培ってほしい。

 ウルフ ムチを入れすぎたら負けるんですね。

 棚橋 落馬することもあるね(笑い)。

 (※1)96年アトランタ五輪のレスリングフリースタイル100キロ級の金メダリスト。WWEを主戦場に活躍。09年4月のIWGP戦では王者・棚橋がハイフライフロー連発で勝利。
 (※2)98年4月に開催された引退試合には7万人が来場。ラストマッチは猪木がドン・フライをグラウンドコブラで仕留める。棚橋自身も生観戦。
 (※3)10・9伝説の対抗戦。メインは禁断の団体トップ同士となる武藤敬司と高田延彦の一騎打ちで6万7000人が集結した。武藤がクラシカルな足4の字固めでギブアップ勝ち。
 (※4)野人・中西の怪力殺法を耐え忍び、棚橋がIWGP王座を奪回。この試合を境に絶対エースのポジションを築く。

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