【駒田徳広 我が道20】3年連続全試合出場で1億超 2度目の交渉で上積み

[ 2026年5月21日 07:00 ]

92年12月24日、年俸1億2000万円で契約更改。愛車にはファンからもらったぬいぐるみ
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 1990年(平2)は初めて全130試合に出場し、打率・287。3年連続3割はならなかったが、いずれもチーム最多の22本塁打、83打点をマークした。レギュラーとして、それなりに自信を持ってやれていた。

 毎試合出るというのは、育った環境かな。毎日働く両親を見て休んじゃいけないんだと思っていた。今なら許されないと思うが、38度を超える発熱があってもフラフラしながら球場に行って試合に出る。それでちゃんとヒットを打ち、6回が終わったら医務室で点滴を打ってもらうということもあった。

 チームは独走し、9月8日に早々と2年連続優勝を決定。日本シリーズは西武に4連敗を食らった。優勝決定から間が空きすぎたというのもあるが、岡崎郁さんが「野球観が変わった」と話したように、野球の質で負けたと思う。

 第1戦(東京ドーム)の初回、歩かせていいよのオレステス・デストラーデに先制3ランを打たれて、もう修正が利かなかった。私も14打数2安打。全然打てなかった。目指す野球の方向性は一緒でも、西武の方が自由度が高く、質が高い。我々より器が大きいと感じた。

 91年も全130試合に出て、今度はフルイニング出場。生涯最高打率となる・314、19本塁打、66打点をマークした。打率は7月に入るまで3割4分台あった。

 そろそろうまくすればタイトルが獲れるんじゃないかと思ったが、四球が少ない。ボール球を振ってしまう。気質として高いモチベーションを保てない。たとえば7―0で勝っていたら、まず二ゴロか三振。打ってやろうという気持ちはあっても大ざっぱになってしまうのだ。

 加えて夏場に弱い。私をホームラン打者にしたかった王貞治さんや荒川博さんからよく「ホームランは減らないけど、打率は落ちるぞ」と聞かされたが、まさにそれを実感した。

 92年は、一塁手として3年連続ゴールデングラブ賞をもらっていたのにキャンプに外野用のグラブを持ってくるように言われた。アキレス腱に持病のある原辰徳さんをレフトから一塁へコンバートするという。

 3年ぶりの外野守備は怖かった。目が悪くて三半規管が弱い。甲子園のように風の強い球場は特に怖かった。ただ外野を守って足を動かしたことは、逆によかったかもしれない。

 2年連続のフルイニング出場で打率・307、自己最多の27本塁打、64打点。打撃総合コーチになられた中西太さんは私のことを理解して、自由にやらせてくださった。

 3年連続全試合出場。コンスタントに数字を残してきて、年俸はついに1億円を超えた。2度目の交渉で上積みしてもらい、クリスマスイブの12月24日に年俸1億2000万円で契約を更改した。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。

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