岡本伊三美さん死去 近鉄元監督、南海黄金期の名二塁手 「100万ドルの内野陣」形成 95歳肺炎で

[ 2026年4月21日 05:05 ]

87年、近鉄の(左から)仰木コーチ、岡本監督、中西コーチ
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 南海(現ソフトバンク)の黄金期を支えた内野手で、近鉄で監督も務めた岡本伊三美(おかもと・いさみ)さんが15日午前7時57分、肺炎のため大阪市内の病院で死去していたことが20日、分かった。95歳だった。京都市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男猛(たけし)さん。阪神コーチ時代の1973年、最終戦V逸の歴史的証言者でもあった。

 岡本さんは中学時代はバスケットボール選手で高校で本格的に野球を始めた。入団テストを受け、1949年、南海に入団した。50年初出場。52年、2軍本拠地の大阪・中百舌鳥にある合宿所「秀鷹寮」で鶴岡一人監督から二塁手で1軍抜てきの電話を受け、レギュラーに定着。ベストナインに選出された。

 入団時の月給はわずか3000円。鶴岡の名言「グラウンドに銭が落ちている」を胸に奮起し、53年には打率・318で首位打者、19本塁打を放ち、リーグ3連覇に貢献、最高殊勲選手(現最優秀選手=MVP)に輝いた。飯田徳治、蔭山和夫、木塚忠助と「100万ドルの内野陣」と呼ばれた。チャンスに強く、翌日の新聞の紙面を飾ることが多く「見出しの岡本」の異名をとった。

 59年には堀井数男から主将を譲られた。同年、杉浦忠の活躍もあり、日本シリーズで巨人に4連勝して日本一に輝いた。御堂筋パレードでは鶴岡監督とともに涙した。

 63年限りで現役引退。南海一筋14年、1289試合に出場し1018安打、打率・257、125本塁打、182盗塁。

 引退後は南海、サンケイ(現ヤクルト)、阪神、近鉄でコーチを歴任。阪神時代の73年には優勝目前まで迫りながら最終戦で逃した。同年、掛布雅之の入団テストに立ち会い、獲得を進言した。

 84年には近鉄の監督に就任。86年には西武と激しい優勝争いを演じた。87年限りで退任し、コーチだった仰木彬にバトンを渡した。

 96年から近鉄球団幹部として編成を担当。99年にはユニホーム組では当時異例の球団代表に就任した。

 晩年は全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)の常務理事を務め、82歳だった13年には学生野球資格回復の研修を受け、アマチュア野球の指導、発展に尽力した。

 次女は元プロテニスプレーヤーの岡本久美子さん。座右の銘は「いま全力」。同名の書籍も著した。「先を案じたり、過去を悔やんでも道は開けない。いまを懸命に生きよう」。言葉通り生き抜いた人生だった。

 岡本 伊三美(おかもと・いさみ)1931年(昭6)2月26日生まれ、京都市出身。洛陽高(京都)からテスト生として南海(現ソフトバンク)入りし、50年にデビュー。好打の二塁手として52年に初のベストナイン。53年は首位打者を獲得しリーグMVPに輝いた。63年の引退後は南海、サンケイ、阪神、近鉄でコーチを歴任。84~87年は近鉄を指揮し、退任後は球団代表も務めた。次女はテニスで活躍した岡本久美子さん。

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