【馬淵史郎 我が道3】松井から逃げたんじゃない――勝つための作戦としての敬遠

[ 2026年3月3日 07:00 ]

9回2死三塁で5度目の敬遠
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 普段から野球用語を使っていて気づくのは、物騒な言葉が多いということだ。アウトは「死」、走ったら「盗塁」、タッチアウトは「刺殺」。殺すとか死ぬとか、盗むとか刺すとか。江戸時代ならお奉行所、今なら警察が出てくるようなスポーツ。それが野球だ。

 野球殿堂入りもした愛媛出身の俳人・正岡子規ら多くの先人が米国から入ってきたベースボールを、日本でも普及できるように、和訳した用語が今に伝わっている。ちょっと物騒な言葉が多いのは、それだけ野球が少しの油断で流れが変わること、硬い球を使う危険な競技であることを昔の人も分かっていたのかもしれないね。

 そんな中で「敬う」という言葉を使うのが敬遠だ。他の用語と比べても、語感が違う。今で言うならリスペクト。敬って、遠ざけた上で、一塁を与える。敬遠とは無条件で走者を相手に与える作戦なんだ。当然守っている側がリスクを背負わないといけない。

 だからこそ、敬遠策を選択した以上は、そのリスクを失点につなげないということが重要になる。敬遠して、その後に連打されて、一方的な展開になりました――では敬遠した意味がなくなる。5番の月岩信成くん、6番の福角元伸くんら松井秀喜の後ろを打つ選手のウイークポイントを明徳義塾は徹底的に分析した。

 敬遠すると、投手はリズムを崩しやすい。暴投やボークでピンチが広がるケースもある。そのため松井を歩かせる時でも、捕手は立ったりせず、座って外角にしっかり投げさせることを指示した。4番を敬遠した上で勝つ。全てをこのポイントに集約した。敬遠して、相手に塁を与えてからの勝負だった。松井から逃げたんじゃない。あくまで勝つための作戦だった。

 監督というのは常に選択を迫られる。野球のセオリー、確率、経験、相手との力関係。全てが判断基準。その中で勝利に1%でも近づけるように作戦を考える。監督がデータの裏付けのないギャンブルをしたらあかん。データもないのに、作戦を立てたら、それはただの賭け。俺は今でもそう考えている。

 そして野球というのは強いものが勝つとは限らない。それが面白さでもある。駆け引き、心理戦というのが、凄く重要になる。満員の甲子園での勝負となれば、メンタルのところが余計に大事になる。敬遠策を取った明徳義塾にもプレッシャーがあったが、星稜も「松井を全部歩かせるつもりか」と各打者がプレッシャーを感じていたはず。どっちがプレッシャーに勝つかの勝負だった。

 星稜の初回2死三塁で、松井をまず敬遠した。警戒していたのは出塁してからの足だった。スピードもあったからね。2死一、三塁から走られて、攻撃のリズムをつくられていたら、試合の流れはまた違ったものになったかもしれない。

 ◇馬淵 史郎(まぶち・しろう)1955年(昭30)11月28日生まれ、愛媛県八幡浜市出身の70歳。三瓶高―拓大。83年に社会人の阿部企業で監督に就任、86年に都市対抗初出場、日本選手権で準優勝。90年から明徳義塾の監督に就任、02年夏の甲子園で優勝。監督として甲子園通算39回出場(春17回、夏22回)は歴代1位。甲子園55勝は歴代4位。23年には日本代表監督としてU―18W杯優勝を果たした。

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