PL学園V戦士・今久留主成幸さん死去 58歳…KK悲痛 桑田氏「涙が止まらず」清原氏「また会えると」

[ 2026年2月5日 05:30 ]

PL学園時代の桑田真澄投手(右)と途中出場した今久留主成幸捕手
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 PL学園(大阪)の85年夏の甲子園優勝メンバーで、大洋(現DeNA)、西武でプレーした元捕手の今久留主成幸(いまくるす・なりゆき)さんが1月29日、川崎市の病院で死去した。58歳。大阪府出身。葬儀は近親者で行った。関係者によると肺がんで闘病中だった。PL学園で同期だった「KKコンビ」のオイシックスの桑田真澄チーフ・ベースボール・オフィサー(CBO=57)、清原和博氏(58)も突然の別れに喪失感をにじませた。

 野球ファンに強烈な印象を残したPL学園最強世代のV戦士が突然、天国に旅立った。関係者によると今久留主さんは体調を崩していた昨年12月、病院で検査を受け肺がんと診断されたという。1月から治療を進めていた中、体調が急変し1月29日に帰らぬ人となった。近親者で行われた葬儀には優勝当時の監督だった中村順司氏や、85年の優勝メンバーも参列したという。

 同期でバッテリーも組み親交が深かった桑田氏は、CBOを務めるオイシックスを通じて哀悼の意を表した。「あまりに突然のことで、到底信じることができませんでした。キャンプイン前日(1月31日)、最後に顔を見てきましたが、涙が止まらず言葉になりませんでした」とショックの大きさを隠せなかった。

 今久留主さんは高2の夏の甲子園直前、右手中指のマメなどで桑田氏が“投球恐怖症”に陥っていた際「真夜中に“オレは投げられるんやろか”って突然訪ねて来て、キャッチボールをしたほどだった」と明かしたこともある。プロ入り後も、友情バッテリーを組んだこともあった。桑田氏が巨人時代の95年に受けた右肘じん帯再建術(通称トミー・ジョン手術)からの復活を目指していた97年1月。「あいつを相手になら昔の球を取り戻せるかもしれない」と、当時西武の捕手だった今久留主さんを連れてオーストラリアで極秘自主トレを行った。桑田氏は当時を思い起こし「復帰に向けて不安を抱えていた時には、彼が球を受けながら、球質や角度を丁寧に確認してくれました。その時間が、私にとって復活への大きな一歩となりました」と改めて感謝した。

 清原氏もスポニ本紙の取材に「突然の訃報に驚いています。チームメートとして過ごした高校時代の日々を思い出すと、言葉が見つかりません。最後に会ったのがいつだったかも分からないほど、長い間会っていませんでしたが、いつかまた会えると思っていただけに、残念でなりません」とコメント。「KKコンビ」が、ともに高校野球史を彩った球友との別れを惜しんだ。

 ≪DeNA・牛田広報感謝 入団時の担当スカウト≫DeNA・牛田成樹広報は、03年ドラフト4位で入団した際の担当スカウトが今久留主さんだった。突然の訃報に「本当にショックです」と沈痛の面持ち。明大の先輩後輩でもあり特に気にかけてもらったそうで「まさに野球界の“親代わり”のような存在でした」と感謝した。4年前に電話で会話をしたのが最後のやりとりだったという。95年に横浜でともにプレーした相川監督は「本当に残念です。一緒に野球をやれたことは自分にとって良い経験でした」としのんだ。

 ◆今久留主 成幸(いまくるす・なりゆき)1967年(昭42)5月10日生まれ、大阪府摂津市出身。PL学園では捕手として85年春夏甲子園出場し、夏の全国制覇に貢献。明大では主将と4番も務め、89年ドラフト4位で大洋(現DeNA)入り。95年途中に金銭トレードで西武に移籍した。99年限りで現役を引退し、00年から横浜(現DeNA)で4年間スカウトを務めた。07年にはBC信濃のGM、09年は監督に就任。その後社会人野球のコーチなどを歴任し、広島県福山市が本拠のツネイシブルーパイレーツの統括アドバイザーを務めていた。

 ▽「KKコンビ」のPL学園 桑田真澄、清原和博が在籍した3年間は83年夏から5季連続甲子園出場を果たし、83、85年夏優勝、84年春夏は準優勝と4度の決勝進出。85年選抜は4強だった。3年間で甲子園23勝3敗、勝率.885だった。現在でも甲子園通算本塁打は清原がトップの13本で、桑田の6本も元木大介(上宮)、中村奨成(広陵=現広島)と並ぶ2位。桑田の甲子園通算20勝(3敗)も歴代最多だ。

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