巨人・丸の礎となった若手時代の猛練習 広島時代は「リアルに泣いていた」

[ 2025年12月16日 07:30 ]

12日に千葉県いすみ市の大原中で講演を行った巨人・丸
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 巨人・丸は「リアルに泣いていた」と明かした。12日に千葉県いすみ市の大原中で行った講演。全校生徒340人の前で自身の経験談について語った後の質問コーナー。生徒から「つらかったこと」を問われ、広島時代の猛練習の内容を挙げた。

 「当時の広島は12球団でも一、二を争うくらい練習が厳しくて…」と切り出すと、1箱200球×4=800球をノンストップで打ち続けるメニューを紹介。打ち終わると「自力でバットから指が離せなくて、トレーナーに指を1本ずつ外してもらった」と苦笑しながら回想した。

 千葉経大付から07年高校生ドラフト3巡目で広島入りした当初は1メートル77で77キロ。現在の95キロと比べると、かなり細かった。「1年目のオフにウエートして体を大きくしようと。スクワットで240、250キロを担いでやるんだけれど、重すぎて、(バーベルのシャフトが)首の後ろに当たって痛い。3カ月間やり続けないといけなかったのはきつかった」とこちらも当時を苦笑しながら振り返った。

 4年目の11年にブレークする礎となった若手時代の猛練習。インターネットなどでいろんな練習法、情報が自ら手に入れられる現代において、効率的とは言えないかもしれない。丸もそれは分かっている。「やらされている練習はあんまり意味がない。どういう意識を持ってやるか」と説く。

 メニューの意味を理解した上で、誰よりも汗を流してきた。「僕の場合はとにかく練習して、自信をつけるというより、たくさん練習して、これでダメならしょうがないというくらい追い込んでいたつもりでやっていた。なので、今は僕の練習したものを試合で見てくださいという気持ちで入っている。そうするとあまり緊張しない」。圧倒的な練習量は余計な緊張も取り除く。来季で19年目。2000安打まで71に迫る背番号8の言葉には説得力があった。(記者コラム・青森 正宣)

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