39歳・田沢の野球人生の終着点は? 6日からENEOSのユニホームでラスト舞台

[ 2025年10月5日 20:00 ]

ENEOS・田沢
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 2013年10月。田沢純一は世界最高峰MLBの舞台で歓喜の輪の中心にいた。ワールドシリーズを制覇したレッドソックスの救援陣の一角として、ポストシーズン13試合に登板。勝利投手にもなった。あれから12年が経過。39歳になった田沢の野球人生の終着点はどこなのだろうか。6~8日に等々力球場で行われるJABA秋季神奈川県企業大会で、さまざまな思いを胸に社会人野球のENEOSの一員として最後の大会に臨む。

 「ENEOSのユニホームを着る最後の機会。登板のチャンスをいただけるなら、特別なことをするのではなく、これまでと同じように準備をして臨みたい。多くの方々に自分の投球を見ていただけたらうれしいです」

 今月1日、ENEOSはコーチ兼任の田沢が10日で退団すると発表した。米国から帰国後、独立リーグのBC埼玉、台湾、メキシコを経て、14年ぶりに古巣に復帰したのは22年9月。この3年間を「ケガもあって思うようにチームに貢献できなくて申し訳ない気持ちが強いです。メジャーや海外の経験をもっとチームに伝えることができたらというもどかしさもあります」と振り返る。特に1年目は右肩の不調でほとんど投げることができなかった。

 それでもあの歓声は忘れない。昨年7月22日。都市対抗の東海理化戦で16年ぶりに東京ドームのマウンドに立ち、9回の1イニングを締めた。「久しぶりに大歓声をもらえたことは自分にとって大きな財産になりました。その歓声を届けてくれた社員や取引先の皆さま、社会人野球ファンの皆さまには心から感謝しています」。08年にNPBを経ずにMLBに挑戦し、9年間で通算388試合に登板し、21勝26敗4セーブの成績をマークした。社会人野球は田沢にとっての原点。「アメリカ挑戦のチャンスを与えてくれたENEOSには感謝の気持ちでいっぱいです」と素直な思いを口にする。

 今後についてはまだ心の整理はできていない。「現役としてオファーをいただけるなら続けたい気持ちもありますし、コーチなどプレーヤー以外の立場で野球に携わってみたい気持ちもあります」。日本、米国、台湾、メキシコの4カ国でプレー。環境も文化も異なるさまざまな野球を経験し「球団経営など新しいフィールドにも関心がある。自分が国内外で培ってきた経験を生かしながら野球に貢献していきたい」という。紆余(うよ)曲折の野球人生だったかもしれない。それでも田沢にしか伝えられないことがあるはずだ。(甘利 陽一)
 

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