文通から日米球界の架け橋になった歯科医師「ジュン・イマザト」とは~「ベースボールと野球を繋いだ男」

[ 2025年9月20日 17:30 ]

9月15日に出版記念トークイベントに出演した筆者の竹本武志氏(右)と、MLB日本選手第1号の村上雅則氏
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 やはり、野球人の血が騒ぐのだろう。9月15日、兵庫県西脇市で開かれたトークイベントでのこと。バットを構えてほしいと振られた村上雅則氏(81)は、構えるだけでなく、高齢を感じさせない力強さで、それをブン!と振ってみせた。日本人初のMLBプレーヤーである村上氏の球歴を知る年代の聴衆も、村上氏の名前をこの日初めて知ったに違いない「大谷翔平世代」の地元の学童球児たちも「おおっ」と一様に沸いた。

 バットは、MLB歴代2位755本塁打のハンク・アーロンのサイン入りだった。会場に置かれた銘品はこれだけではない。村上氏がプレーした1964、65年のサンフランシスコ・ジャイアンツで全盛期にあったウィリー・メイズのバットをはじめ、日米野球で来日したチームなどから贈られたサイン入りのボールやバットがずらり。西脇市の歯科医師であり、大リーグ研究家だった故・今里純氏が遺した約3000点もの資料の一部だ。

 トークイベントは、今里氏の評伝書籍「ベースボールと野球を繋(つな)いだ男 今里純 知られざる戦後・日米野球交流の物語」(ヘソノオ・パブリッシング)の出版記念として開催された。野球からベースボールに飛び込んだパイオニアである村上氏は、子供たちの視線を意識して「おじさんは性格がオープンだったから良かったんじゃないかな」と、片言でも英語を使ってチームに溶け込んでいった若き日の経験を語り、挑戦する上での積極性の大切さを伝えた。渡米が一般人では経済的に困難だった時代。南海ホークス・鶴岡一人監督から「南海に入ったらアメリカ行かせてやるぞ」と口説かれて法政二高からプロ入りし、2年目に若手研修で本当にその機会をもらった。テレビ放送されていた西部劇「ローハイド」の世界に憧れていた青年は、高揚感のままマイナーリーグで投げ、そしてメジャーへの昇格をつかんだのだった。

 今里氏は大リーグ研究におけるパイオニアであった。書籍の記述によれば、自己診断した病名は「アメリカ性野球熱」――。

 1928年生まれ。戦後の進駐軍向けの短波放送で流れる大リーグ中継に夢中になり、毎夜スコアシートを付けた。ラジオの声だけで足りない情報を得ようと始めたのが、米国の放送局や球団広報部への手紙。資料が届くと丁寧な感謝の手紙を返し、文通の輪を広げていった。米球界と交流を始めて10年以上が過ぎ、セントルイス・カージナルスが来日した58年の日米野球。カ軍専属アナウンサーの依頼で受けたインタビューで披露した、大リーグ愛に満ちた知識と流ちょうな英語が評判を呼ぶ。日本に住む熱心な大リーグファン「ドクター・ジュン・イマザト」の名が米国内で一気に広まる転機、そして日米の野球界をつなぐ活躍を始める転機だった…と文中にしるされる。

 米球界の最新情報や重要資料をいち早く手に入れることができ、翻訳や分析の労を惜しまない歯科医師兼研究家は、日本プロ野球のコミッショナー事務局や球団、名選手たちに助言する立場となり、63年の阪神タイガース初の海外キャンプ実現にも尽力していく。「趣味でやっているから」と肩書や報酬に無頓着で、黒子として日米球界の架け橋になった姿を、書籍は綿密な取材を基に描き出している。

 筆者は、西脇市に住む元体育教師でスポーツライターの竹本武志氏(76)。2008年に元阪神監督・吉田義男氏が今里氏を「最高の大リーグ通」と評した新聞記事を目にして衝撃を受け、03年に今里氏が亡くなった後に遺された膨大な資料の保存と、地元の偉人を顕彰する活動を有志とともに行ってきた。

 12年1月に開催した「今里純野球展」に続き、クラウドファンディングで印刷費と訪米取材費の一部を募って成し遂げた本書の出版。「いわば日米野球史に隠された“謎の男”。彼の存在と情熱の人生ドラマを評伝として紹介できる機会を得たことは、望外の喜び」とつづった。竹本氏が代表を務める「大リーグ研究に生涯をかけた今里純」実行委員会では、2度目の「今里純野球展」を計画している。(和田 裕司)

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