【内田雅也の追球】悔恨に顔を上げれば

[ 2025年9月4日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2―5中日 ( 2025年9月3日    バンテリンD )

<中・神>8回、中川は三ゴロ併殺に倒れる(撮影・北條 貴史)
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 夏になると藤沢周平の時代小説『蝉(せみ)しぐれ』(文春文庫)を読みたくなる。江夏豊も好きだと聞いた。主人公の少年、牧文四郎の青春と成長が描かれている。

 テーマの一つが悔恨ではないだろうか。人は幾度も選択を迫られながら生きていくが、どうしても悔いが残る。

 文四郎は父親が亡くなる前に感謝の言葉を口にできなかったと涙をこぼす。親友の小和田逸平が慰める。「そういうものだ。人間は後悔するように出来(でき)ておる」

 幼なじみのお福は文四郎に恋心を抱きながら結ばれなかった。出家して尼になる前、文四郎に会う。「きっとこういうふうに終わるのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中……」

 この夜、今季初黒星を喫した阪神先発・伊藤将司も「悔しい」と悔恨の登板となった。

 1―0の5回裏、間一髪セーフの内野安打からバットを折りながらの適時打と不運な同点の後、細川成也に右翼席へ勝ち越し3ランを浴びた。6回裏も石川昂弥に左翼席にソロを浴びた。

 このところ、好投すれども勝利投手になれない不運が続いていた。7月13日に4勝目をあげて以降、前回までの直近5試合の登板で4度クオリティースタート(6回以上、自責3以下)を記録しながら、すべて勝敗なしに終わっていた。

 同じく中川勇斗も悔いが残ったろう。3回表に左中間席へ2号先制本塁打を放った。だが2―5の8回表、1死満塁で三ゴロ併殺打に倒れた。

 監督・藤川球児は「まあ、酸いも甘いもかみ分けて」と、人生にたとえた。やはり野球は人生に似ている。

 前夜の殊勲者、熊谷敬宥も5打席凡退。三ゴロ併殺打で最後の打者となった。

 もう晩夏の候だが、朝、散歩で名古屋・鶴舞公園を訪ねるとツクツクボウシが鳴いていた。蝉は懸命に生きていた。

 文四郎は長じて父・助左衛門の名を継いだ。お福と最後の別れをした後にこんな描写がある。<顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾(ろう)するばかりに助左衛門をつつんできた>。

 ヘッズアップである。伊藤将も中川も熊谷も……敗戦後の選手たちも皆、顔を上げたい。ファンの温かい声援が聞こえてくる。 =敬称略=
 (編集委員)

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