松井秀喜氏 緊急帰国し、恩師・長嶋茂雄と2人きりの対面「一番は感謝」「縁がなければ違った野球人生を」

[ 2025年6月4日 08:17 ]

長嶋茂雄さん死去

午前5時前、長嶋茂雄さんの自宅を訪れた松井秀喜氏(撮影・吉田 剛)
Photo By スポニチ

 元巨人松井秀喜氏(50)が4日、米ニューヨークから帰国、3日に89歳で亡くなった巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの自宅を弔問した。「2人きりの時間を過ごさせてもらいました」と話し、恩師の死を悼んだ。

 松井氏は4日午前4時過ぎに羽田空港に到着すると、その足で都内の長嶋さん宅へ。午前5時前に到着すると、長嶋さんの次女三奈さんに出迎えられ、恩師と無言の対面をした。「今にも目を開けそうなくらい意思のあるというふうな感じでした」。2時間以上の滞在の中で、様々な思いが胸をよぎり、恩師と過ごした日々が脳裏によみがえった。

 どんな言葉をかけたのかを問われ「たくさんありすぎてちょっと…。一番は感謝だけです」と率直な思いを口にした。「監督との出会い、縁がなければ違った野球人生を送っていたかもしれない。ドラフトの時に引いてくださったときのことを思い浮かべて。その後の2人の時間を私に授けてくださって、ありがとうございました」と感謝の言葉を紡いだ。

 長嶋さんが手塩にかけて育ててきたのが松井氏だ。92年11月のドラフト会議。巨人監督に復帰したばかりの長嶋さんが4球団競合となった星稜(石川)の超高校級スラッガー・松井の当たりくじを引き当てた。右手でガッツポーズをつくり、本人に直接電話を入れた。声を聞いた途端、阪神入団を熱望していた18歳の表情が崩れた。「うれしい。雲の上の人だと思っていたから」。あっという間にハートをつかんだ。

 「4番千日計画」と称して1年目から鍛えた。球場、自宅、遠征先のホテルの部屋でも素振りをさせた。日本を代表する強打者になっても同じで、ヤンキース移籍後もニューヨーク滞在中のホテルの一室に呼び寄せて素振りをさせ、バットが空を切る音を聞いてアドバイスを送った。

 02年10月31日。巨人が日本一になった翌日にメジャー挑戦の意思を伝えられた。寂しそうな表情を浮かべたが「どうせ行くならヤンキースに行けよ」と言った。愛弟子も師匠の言葉通り、ピンストライプのユニホームに袖を通した。7年目の09年にはワールドシリーズ制覇に導き、日本人初のMVPに輝いた。

 日米通算507本塁打を記録。12年の引退会見では「現役時代の一番の思い出は、長嶋監督との素振りの時間」と即答した。04年に長嶋さんが脳梗塞で倒れた後も、何度も電話で励まされた。「いつまでも子供扱いで、褒められたことがない」と苦笑する愛弟子の引退の報に触れた時、長嶋さんはやっと「現代で最高のホームランバッターだった」と賛辞を贈った。

続きを表示

この記事のフォト

「長嶋茂雄」特集記事

「大谷翔平」特集記事

野球の2025年6月4日のニュース