【内田雅也の追球】決まらなかった「決め球」

[ 2025年4月19日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2―5広島 ( 2025年4月18日    甲子園 )

<神・広>ベンチで戦況を見つめる村上(撮影・北條 貴史) 
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 阪神の開幕投手が先発で開幕4戦4勝を記録したのは1953(昭和28)年の藤村隆男ただ1人である。67年の村山実も4戦4勝しているが、うち2勝は救援であげたものだった。

 球団創立90周年を迎えている長い歴史でわずか1人なのだ。「いかに好調を持続するのが難しいかということよ」。試合中、甲子園球場内OB室の前で会った前OB会長・川藤幸三が話していた。「立ち上がりを見たら、球が走っていなかったからなあ」

 この夜、球団史上2人目に挑んだ村上頌樹は4回で降板、敗戦投手となった。目立ったのは2ストライクと追い込んでからの「決め球」で決め切れなかったことだ。

 大量5失点した問題の2回表。先頭の野間峻祥とサンドロ・ファビアンに浴びた連打はそれぞれ1ボール―2ストライク、0―2と追い込んでから変化球を打たれた。

 痛かったのは適時打の間にはさまった2四球である。会沢翼に9球(ファウル4本)、二俣翔一に14球(同8本)も粘られた末に与えた。これもそれぞれ0―2、1―2と追い込んでからだった。2人とも後に生還を許している。この回だけで実に54球も費やした。

 「あれだけ粘られるというのは、球が走っていない証拠よ」と川藤は話していた。スピードガンだけでは見えない球の「切れ」の問題だろうか。回転軸が好調時よりずれていたのか、球離れの位置が違っていたか。

 村上は開幕戦(3月28日・マツダ)で広島を9回2死まで零封していた。相手の広島は対策を練っていたことだろう。それが「粘り」ある打撃につながったのかもしれない。敗戦後、監督・藤川球児は「対策はできると思います」と話した。

 川藤は「隆男さんはわしの大恩人やった」と言った。プロ2年目の69年、近鉄コーチだった藤村隆男が阪神に復帰、2軍監督代行に就いた。毎朝、自転車で虎風荘に来て、甲子園浜までのランニングを見ていた。ある朝、腹痛で川藤が休むと「荷物まとめて福井へ帰れ」と言われた。「1軍に呼ばれても休むんか? 自分の体を管理できんヤツはプロやない」

 「ミスター・タイガース」藤村富美男の弟もまた猛虎魂の人だった。むろん、村上にもその魂は宿っている。雪辱に期待したい。 =敬称略=  (編集委員)

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