【鷹論】九州にプロ野球球団がある幸せかみしめて

[ 2025年4月15日 06:00 ]

1983年6月21日付の本紙西部版1面。九州新球団の可能性が消滅したことを報じる。
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 スポニチ西部総局は5月末、移転となる。たった400メートルの距離だが、やや手狭となることから昭和30年代から月別で製本化された新聞のデジタル化作業に忙殺されている。古いアルバムをめくるようでついつい、手を止めて読み込むから作業は、はかどらない。

 少し、力を入れれば破れてしまうほど、風化したページをめくると稲尾、豊田、中西…。黄金期の野武士軍団がよみがえる。西鉄は低迷期と球団売却を経て、1978年限りで福岡を去った。プロ野球球団不在の紙面(西部版)は空虚だ。めくる手が止まることは、ほぼない。当時の福岡の街もそうだったのだろう。“地方球場”となった平和台。たまのプロ野球に歓喜するが、熱気は一過性だ。最大の売りである「1面」は全盛期の巨人に支配され、紙面の独自性はどこにもない。

 83年には新たなプロ野球球団の福岡移転が持ち上がる。稲尾監督が就任予定のロッテだった。「1年後の福岡移転が就任条件」など、現実味を帯びている。本紙もこれに飛びつき、1面で10回の緊急連載に踏み切っている。ただ、話はすぐに立ち消えとなり、熱も奪われる。そんな時期が10年も続いた。

 89年にダイエーが南海を買収し、福岡に鷹が舞い降りた。以降、リーグ優勝10回、日本一9回の常勝軍団へ成長。西鉄やダイエーの低迷期を知るファンは少なくなった。今季、連覇を目指していたホークスは開幕からつまずいた。新たな取り組みが、一部で批判されている。主力選手に自己流調整を任せるために導入したS組。開幕投手の有原が2試合連続炎上し、近藤は腰の手術、開幕から不振だった山川もそうだ。

 近年、SNSの普及で監督、選手にまで声は届くようになった。昭和にも球場の汚いやじがあったが、大半の暴言はブラウン管を通り抜けてはこなかった。負けが込むと、もどかしい気持ちは正直、ある。一方、歴史のページをめくるたび、こみ上げる思いもある。電車でバスで、はたまた徒歩で。行くことのできる場所にプロ野球がある幸せである。 (福浦 健太郎)

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