「松井秀喜を5連続敬遠した男」河野和洋さん 山梨の地で帝京科学大野球部の立ち上げに奔走

[ 2024年8月14日 08:00 ]

92年夏の甲子園で、明徳義塾の先発・河野和洋投手(外野手=左)から5打席連続敬遠される星稜・松井秀喜内野手(左から2人目)
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 熱戦が続く夏の甲子園。その開会式が行われた7日、球場にはある男性の姿があった。河野和洋さん(49)。100周年を迎えた甲子園球場で、今でも語り草になっている出来事に登場する。92年夏の甲子園。星稜の怪物スラッガー・松井秀喜を5連続敬遠した明徳義塾の右腕だ。

 「甲子園には毎年来ています。明徳の練習の手伝いと、後はあいさつですね」。河野さんは現在、ある野球部の立ち上げに奔走している。山梨県上野原市を拠点とする帝京科学大の野球部。今年3月に活動をスタートし、4月には同市内にグラウンドも完成した。部員は約40人。中には甲子園経験者もいる。河野さんは今夏も東京、千葉などの地方大会にも足繁く通い、「大学の名前を覚えてもらわないと」と各校に挨拶回りをした。

 「ゼロからのスタートです。今の目標はリーグ加盟。子どもたちの目標を作ってあげないと」。同大野球部の最大の利点が、大学に通いながら国家資格である理学療法士、柔道整復師などの資格が取得できることだ。部員の中には高校時代にケガに泣いた選手もおり「みんな悔しい思いをしている。“将来、自分たちと同じ境遇の選手たちの力になれるように”と考えています」という。

 野球部監督は自身の専大の後輩である相良光紘さん(44)。16年から熊本県の専大玉名で監督を務め、河野さんいわく「めちゃくちゃ熱い男」。専大時代は学生コーチで、チームが東都大学リーグで敗れた際は「負けたヤツと一緒に電車に乗れるか!」と神宮から神奈川県伊勢原市までの約60キロを走って帰ったというエピソードを持つ。

 同時に女子硬式野球部も立ち上げ、現在は男子部員と一緒に練習をしている。「指導スタッフが確定し次第、単独での活動を積極的に行っていきます。地元の街全体に応援してもらえるチームにしたいです」と河野さん。

 松井秀喜5連続敬遠から32年。「もうあまり騒がれなくなった。本当に過去になりましたね」と言う河野さんは「でも高校の監督さんにあいさつすると“あの時の河野さんですか”と言われます。話が早いし、得してますね」と笑う。山梨の地で、ゼロから新たなスタート。いつまで経っても、河野さんは暑い夏を過ごしている。

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