ソフトBドラ4・大野稼頭央 タフネス左腕を生んだ両親の厳しさと奄美大島の大自然

[ 2022年11月28日 08:00 ]

1面を飾った息子の紙面を持つ父・大野裕基さんと母・なつきさん
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 秋空が広がった10月25日。人生で初めて鹿児島・奄美大島を訪れた。スカイブルーの海と山に囲まれ、世界文化遺産に登録されている神秘的な場所だ。そんな小さな島の高校から初のプロ野球選手となったのが今秋のドラフトでソフトバンクから4位指名された大島の大野稼頭央投手(18)だ。

 2年秋の九州大会で興南(沖縄)を完封するなど、同大会で優勝で今春選抜に出場。今夏の鹿児島大会では全6試合49イニングを一人で投げ抜くタフさを見せて準優勝。身長1メートル75、体重65キロと決して大柄ではないが、最速146キロの直球と多彩な変化球を操り、エースとして君臨した。福山龍太郎アマスカウトチーフは「これだけ投げ抜く力がある子は久しぶりに見た。全国の高校生左腕でトップランク」と評価する逸材だ。

 なぜ、これほどのタフネス左腕が誕生したのか。大野の両親が幼少期の「稼頭央」を明かしてくれた。カラオケやボーリングなど学生の娯楽施設はほとんどないため、休日の遊び場は海が多かった。父・裕基さんは「夏休みはほぼ毎日、海で泳いでいました」と振り返る。海以外で遊ぶとなれば、バレーボールやサッカーでグラウンドを駆け回った。

 母・なつきさんは「せっかく島にいるので元気に外で遊んでほしい」とテレビゲームを禁止。「小学校低学年の時は“買って”とせがまれたんですけど、絶対に買わなくて。小さい頃から体を動かして遊ぶことが好きだったので、もう遊ぶなら外っていうスタンスでした」と甘やかすことなく、厳しく接してきた。大野の“無尽蔵”のスタミナは両親の厳しさと島の大自然から生まれたのかもしれない。

 高校進学時は鹿児島の強豪・鹿児島実業への道もあったが、中学時代からバッテリーを組んでいた西田と大島に残る道を選択。日に日に増したのは故郷への感謝だ。大野稼頭央は「ずっと島でプレーしてきて、みなさんに支えられてきた。1軍で活躍してみなさんが頑張れるきっかけをつくりたい。早く1軍で投げて福岡に招待したいです」と力を込める。大自然から生まれた島人(しまんちゅ)の星が、恩返しの旅に出る。(記者コラム・福井 亮太)

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2022年11月28日のニュース