蹴りの荒川×拳のバッキー…王へのビーンボール“開戦”の合図

[ 2020年4月21日 07:00 ]

68年9月18日<阪神・巨人>巨人・荒川コーチ(右から2人目)から左太ももにキックをもらうバッキー(右端)。この後、荒川コーチの頭を殴打し右手親指を骨折
Photo By スポニチ

 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~乱闘編~】昭和、平成の名場面を本紙所蔵の秘蔵写真からお届けする「Lega―scene(レガシーン)」。真剣勝負の中で繰り広げられる乱闘劇もプロ野球の風物詩の一つといえます。「乱闘編」第1回は、1968年9月18日に甲子園球場でダブルヘッダーで行われた阪神―巨人戦の第2試合で起きた一シーンです。

きっかけは阪神・ジーン・バッキーの「ビーンボール」だ。4回、王貞治への初球を頭上に2球目は腰を「くの字」に曲げるほどの危険球を投じた。

初回に死球を食らっていた王がキレた。バットを持ってマウンドに歩み寄り「近すぎるじゃないか。気をつけてくれよ」と抗議。バッキーも素直に受け入れたが巨人ベンチから打撃コーチの荒川博が愛弟子の一大事とばかりに飛び出した。

荒川は一塁手・遠井吾郎の制止を振り切りバッキーの右脚を蹴っ飛ばした。2メートル近い大男は剛腕を振り回して応戦。両軍に、ファンも加わる大乱闘に発展した。

流血した荒川は頭を4針縫い、眼鏡も壊れたが代償はバッキーの方が大きかった。右手親指を複雑骨折。通算100勝の助っ人はこれが阪神での最後の登板となった。

翌年は近鉄で0勝7敗のまま現役引退。米国で農場を経営する傍ら小学校の教師として静かな第二の人生を送った。(敬称略)

 ≪2番手・権藤も王に頭部死球…結局担架で退場≫首位攻防で迎えた伝統の一戦での乱闘劇は詳細に報じられた。当事者のバッキーと荒川コーチには退場が命じられたが、甲子園のファンは納得しない。「王退場」コールとともに、ビンや缶がグラウンドへ投げ込まれた。球審の「王選手を退場にしないのは暴力行為をしていないからです」とのアナウンスでようやく試合は再開。ところがバッキーに代わった権藤正利が5球目を王の頭にぶつけてしまう。王は担架で運ばれ退場した。メイン原稿は「あれもこれも後味の悪い夜だった」と締めくくった。

続きを表示

この記事のフォト

2020年4月21日のニュース