野球への情熱を燃やし続ける 2000年ロッテ同期入団の2投手

[ 2015年12月27日 11:40 ]

2000年12月、ロッテ新入団発表でポーズをとる(後列左から)青野毅投手、長崎伸一投手、田中良平投手、加藤康介投手、渡辺俊介投手。前列は重光昭夫オーナー代行と山本功児監督

 15年前にロッテ入りした2人の投手が今オフ、投手コーチに就任した。といってもNPBの話ではない。社会人野球の新日鉄住金かずさマジックに“復帰”した下手投げの渡辺俊介と、BCリーグ・福島入りした左腕・加藤康介だ。

 年齢は渡辺俊の方が2歳上だが、2人は00年ドラフトで入団した同期。新日鉄住金かずさマジックの前身、新日鉄君津からドラフト4位で入団した渡辺俊は、1、2年目は苦しんだが、3年目に9勝を挙げて頭角を現した。05、10年の2度の日本一にも貢献。プロ入り前のシドニー五輪や、WBCでも2度代表入りするなど国際大会でも活躍した。13年に退団後、渡米。メジャー入りの夢こそ叶わなかったが、独立リーグで2年間過ごし、貴重な経験を積み日本に帰ってきた。

 頭のいい投手だった。記憶力が抜群で、新聞記者の名前と顔などは一発で覚えていた。ポーカーフェースだったマウンド同様、酒席でも崩れることなく冷静で、相手のグラスの中身の減り具合なども常に気にしていた。確か、01年に初勝利を挙げた後、中洲で祝杯を挙げたが「これからが大事なんです」と自分に言い聞かせるように、繰り返し話していたのが印象的だ。

 一方、日大からドラフト2位(逆指名)で入団した加藤は、渡辺俊とは違い1年目から開幕ローテーション入り。2度目の先発となった4月3日の近鉄戦(大阪ドーム)でプロ初勝利を挙げると、その後も白星を重ね9勝をマーク。2年目も11勝した。だが3年目以降はケガに泣かされ、4年間でわずか4勝。07年の開幕直後にオリックスに金銭トレードで出され、横浜(現DeNA)、阪神と渡り歩いた。それでも阪神時代の13年には61試合に登板するなど、しぶとく投げ続けた。

 こちらは集中すると周りのことが目に入らなくなるタイプ。新人の頃はブルペンで自分の世界に入り込み、100球でも200球でも投げていた。はにかみ屋で口下手だったが、酒が入ると人が変わったように話し出すところが面白かった。

 00年に入団した投手は、もうNPBには誰もいなくなった。だが、2人は現役を引退したわけではない。ともに兼任コーチだという。来季でプロ入りから16年目。同期入団後、対照的な道を歩んだ2人が、若手にどのような言葉を紡ぎ、生き様を背中で語るのか。一度、その姿を見てみたい。

続きを表示

この記事のフォト

2015年12月27日のニュース