栗山ハム誤算…小谷野がキャンプ前日にインフル隔離

[ 2012年2月1日 06:00 ]

インフルエンザに感染した日本ハム・小谷野

 新生・日本ハムは荒波の船出となった。キャンプインに備えて沖縄・名護入りした31日、小谷野栄一内野手(31)がB型インフルエンザに感染してダウン。名護市内の病院で診察と治療を受けた後、チーム宿舎内で他の選手との接触を避けるために隔離された。若手を引っ張る立場の主力が無念の出遅れ。それでも栗山英樹監督(50)は前向きにとらえ、新監督として第一歩を踏み出す。

 チームが宿舎に到着してすぐ行われた1、2軍全体のミーティング後のことだ。小谷野は体調不良を訴えて名護市内の病院へ。診察結果はB型インフルエンザだった。宿舎ではすぐに他の選手との接触がないよう隔離する措置が取られた。球団の広報発表によると、今後については「熱が下がるまでは安静にして様子を見る」。無念のキャンプ出遅れとなった。

 小谷野は29日に名護へ先乗りし、自主トレを行っていた。今季は慢性的な腰痛の解消のために減量にチャレンジ。食生活の改善とランニングで昨年までの体重93キロから81キロへ、12キロの減量に成功した。その成果に「凄く動けてる。でも、こういうとき(ケガに)気を付けないと」と話すなど、体調面に注意していただけに感染してしまったことが悔やまれる。

 主将に就任した1歳下の田中とともに、稲葉に次ぐ世代のチームのけん引役にも期待されていた小谷野。チームにとってもキャンプイン直前の小谷野のダウンは大きな痛手だ。同時に心配されるのがチーム内への感染であり、福島芳宏チーフトレーナーは「熱が下がらないと今後のメニューも決められない。下がって2日くらいして、人にうつらないことを確認してからでないと人と一緒にできない。ただ、大騒ぎすることではない」と説明。練習復帰には万全を期す方針で、合流は早くて7日の第2クールからとなる。

 日本ハムは09年にもシーズン中に選手、コーチが相次いで感染するインフルエンザ禍に見舞われた。しかし、当時はそのアクシデントを乗り越えてリーグ優勝。3年前を踏まえて、母校・創価の後輩のダウンを栗山監督は「(感染してしまったのは)仕方ない。逆にこの時期でよかった」と前向きにとらえた。この日はミーティング後、グラウンドまで足を運んでポジションごとに清めの塩をまいて選手の無事を祈願。「選手がケガをしないことが一番。そこはもう神頼みしかない」とも話した。荒波の中で迎えるキャンプイン。小谷野の早期復帰を信じる栗山監督の目は、しっかりと前を見据えていた。

 ▼福田医院(横浜)福田伴男院長 インフルエンザにかかるとウイルスによって神経系統や筋肉、腱などがダメージを受けます。小谷野選手もいきなり元のような激しい動きはできないでしょう。薬を飲むことで2~3日で「治った」という感触になりますが、投薬はやめてはいけません。まずは徐々に体を慣らして、同時に栄養補強が必要です。チームという団体で動いているため今後、感染が広がる可能性もある。インフルエンザは飛沫(ひまつ)、接触で感染しますが、(小谷野の)隔離前に接触していれば、1週間~10日間の潜伏期間を経て4、5日後に症状が出る選手がいるかもしれません。

 ▼日本ハムの09年インフルエンザ騒動 8月16日に大野がチームで最初に発症。18日には福良コーチ、宮西、スレッジの3人が新型インフルエンザと診断された。翌19日には八木、菊地、鶴岡、二岡、小谷野、糸井の6人が微熱などの症状を訴えたため、遠征先の旭川市内の宿舎に隔離。そのため、20日の楽天戦はベンチ入り25人のうち投手7人、野手12人で戦った。21日に大野と二岡、22日にも鶴岡が復帰も、チームは大量離脱の影響で18~25日まで6連敗。9月も11勝14敗1分けと負け越したが、何とか逃げ切って優勝、日本シリーズ進出も果たした。その際、日本野球機構(NPB)はインフルエンザの流行を考慮し、この年に限り日本シリーズにおける40人の出場資格制限を撤廃した。

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2012年2月1日のニュース