日米球界を橋渡し…キャピー原田氏死去

[ 2010年6月24日 06:00 ]

死去したキャピー原田さん

 戦後の日米球界の橋渡し役として活躍したキャピー原田氏(本名・原田恒男=はらだ・つねお)が今月5日に米カリフォルニア州パームデザートの病院で心不全のため死去したことが23日、分かった。88歳だった。郁恵夫人(78)が明かした。

 原田氏は米国出身の日系2世で、米陸軍に所属。戦後は連合国軍総司令部(GHQ)に配属された。退役後は巨人軍に所属して与那嶺要らハワイの日系2世をスカウト。64年にはジャイアンツの極東スカウトとして日本人初の大リーガー村上雅則(南海)の獲得にも携わった。09年には旭日小綬章を受章。今年5月10日のエンゼルスのジャパニーズデーでは「日本に行って鶴岡一人さん(元南海監督)の墓参りをしたい」と語っていたが、かなわなかった。

 ▼村上雅則氏 当初は3カ月間の留学予定。チャンスだからキャピーさんが(大リーグに)残れるよう努力してくれたんだと思ってる。7月の球宴で会えると思っていた矢先の訃報で残念。日本球界の復興に努力された方。日本の殿堂に入ってもいいと思う。

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2010年6月24日のニュース