菊池、まずは“松坂”そして“工藤”へ!

[ 2009年12月10日 06:00 ]

渡辺監督(右)とともに、フォトセッションに納まる菊池

 西武のドラフト1位左腕・菊池雄星投手(18=花巻東)が9日、他の新人5選手とともに東京都港区のザ・プリンスパークタワー東京で入団会見し、日本のエースになることを誓った。背番号17のユニホームに初めて袖を通した左腕は、1年目のテーマは体づくりに設定するなど、焦らずマイペースにプロ生活をスタートさせることを宣言。西武に復帰したあこがれの工藤公康投手(46)のように、45歳を超えても現役で投げ続ける目標も掲げた。

 菊池は緊張の面持ちで、報道陣232人が集結した会見場に姿を現した。西武では98年の松坂(現レッドソックス)の入団発表以来となる大規模なお披露目会見。背番号17のユニホームに身を包み、渡辺監督とガッチリ握手を交わすと「一緒に頑張ろう」と声をかけられた。日米20球団が獲得に興味を示した155キロ左腕の注目の第一声は壮大な目標だった。

 ▼菊池「日本を代表する投手になって、球界を代表する、愛される投手になりたいと思います。ストイックに自分を追い込んでいきたいです。伝統あるチームに入らせていただき、期待と、結果を出さなければいけない責任を感じています」

 将来像には大きなテーマを掲げたが、1年目の目標には「1軍デビュー」などと控えめな発言に終始した。11年前、松坂は入団会見で200勝を掲げたが、菊池はマイペースでプロ人生をスタートさせる。「まだまだ200勝できる投手とは思っていない。まずは体づくりを考えて、松坂さんのように球界を代表する投手が最終目標です」。そのための土台づくりには、すでに着手している。夏の甲子園後も、週6日の練習を欠かさず、プールトレーニングも敢行。1時間を要するウエートトレーニングメニューもこなしている。甲子園から4カ月で体重は6キロ増の86キロ。体脂肪率は14%から12%に減った。
 少年時代からあこがれた工藤とはチームメートとなる。「1年でも1日でも長く現役でいたい。40、45歳を超えられる投手になるにはどういう取り組みをすればいいか聞きたい」と弟子入りを志願。一方で、同世代の活躍は刺激に変える。世界を舞台に戦い、史上最年少で賞金王を獲得したプロゴルファーの石川遼は同じ91年生まれ。「石川君のように、やればできるというのは学べますね」と、身近な手本としながら成長の糧とする。
 「球界を代表する投手、記憶に残る投手とはどんな投手か」との問いかけには迷わず答えた。「野球だけやるのがプロ野球選手ではないと思います。取り組む姿勢であったり、野球をやる子供たちにいい影響を与えられたらいい」。現実を見つめながら、未来図も設計する。プロ野球人・菊池雄星が、球界のエースへ向け、その一歩を踏み出した。

 <菊池雄星に聞く>
 ――渡辺監督の印象は?
 「予想以上に大きかったです。この人の下でやるんだという実感がわきました。監督のような素晴らしい投手に近づけるように頑張りたい」
 ――対戦したい打者は?
 「西武さんにたくさんいました。中島さん、中村さんはリーグを代表する打者。自分の真っすぐがどこまで通用するか確かめてみたいです」
 ――デビュー戦の第1球は何を投げる?
 「これから1軍で投げられるレベルになったら考えたい」
 ――ダルビッシュと投げ合いたい?
 「ダルビッシュさんに限らず投げ合ってみたい気持ちはありますが、想像できる立場ではないので、まずはトレーニングしたい」
 ――年末年始はどう過ごす?
 「年末年始だからといって休むわけではない。練習を第一に考えたい」

 <ユニホーム姿に両親苦笑い>菊池の父・雄治さん、母・加寿子さんも息子の晴れ舞台を温かく見守った。雄治さんは背番号17が入ったユニホーム姿に「まだビチッと着ることができていない。体ができていないからですかね」と苦笑い。生まれ育った岩手から所沢へ旅立つ愛息には「何年かかるか分からないですけどプロ球界を熱くしてくれる一人になってほしい」と話していた。

 <過去の西武大物新人投手の入団会見>
 ◆工藤 82年1月12日、当初はプロ入り拒否の姿勢を打ち出していたが、球団の説得に応じ、ドラフト会議から49日目に単独での入団発表。球団事務所での会見では100人以上の報道陣を前に「特徴ある大投手になりたい」と目標を掲げた。
 ◆松坂 98年12月28日に東京プリンスホテルで、西武では85年清原(元オリックス)以来の単独入団発表。報道陣は計268人。会見はワイドショーで生中継され「将来的には200勝したい」と宣言した。

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2009年12月10日のニュース