あのダイビングキャッチで…赤星、涙見せず引退表明

[ 2009年12月10日 06:00 ]

悔しさをこらえながら話す赤星

 阪神の赤星憲広外野手(33)が9日、兵庫県西宮市内のホテルで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。9月に首を痛めた際には持病の椎(つい)間板ヘルニアの悪化とされていたが、その後の検査で「中心性脊髄(せきずい)損傷」と診断されたため引退を決断した。

 突然の引退表明だった。赤星本人にとっては悩みに悩んだ末の決断。「泣いたら、いろんなことを後悔する」。100人以上の報道陣が集まった会見では、現役への未練を断ち切るため最後まで涙は見せなかった。
 9月12日横浜戦(甲子園)でダイビングキャッチを試みた際に首を痛めてシーズンを棒に振った。持病の椎間板ヘルニアの悪化とされていたが、実際は脊髄損傷。「言葉に表せないぐらいしんどかった。首の痛みで眠れなかった」と今でも両腕にしびれが残る。医師からは「今度やったら、最悪命の危険もある」と言われ、報告を聞いた球団からはシーズン終了後の10月30日に引退をすすめられた。それでも現役をあきらめられず、いくつもの病院を巡ったが返ってくる答えは厳しいものばかりだった。
 ここ3年間はケガとの戦い。「全力プレー」という自分のポリシーを貫けなくなった時、ユニホームを脱ぐしかなかった。「僕は今33歳。あと30年以上ある。その人生を考えた時、この決断に至った」。11月28日に南球団社長と最終会談し、今月3日に引退を決めた。
 今後は未定。球団は退団するが「野球界発展のために、何らかの力になれればいい」と話す。最後のプレーとなったダイビングキャッチには「今でも夢に出てくる。でも飛び込んだことに後悔はありません」と言った。9年間の太くて短い現役生活を赤星はトップスピードで駆け抜けた。

 ◆赤星 憲広(あかほし・のりひろ)1976年(昭51)4月10日、愛知県生まれの33歳。大府高では2、3年春のセンバツ出場。亜大、JR東日本を経て00年ドラフト4位で阪神入団。1年目からレギュラーとして走攻守ともに活躍。新人王のほか05年まで5年連続盗塁王。03、05年と2度のリーグ優勝に貢献した。通算成績は1127試合で打率・295、381盗塁。1メートル70、66キロ。右投げ左打ち。

 <歴代3位の盗塁成功率>赤星は歴代9位タイの通算381盗塁を記録。失敗は88度と少なく、盗塁成功率は・812。通算300盗塁以上の選手では広瀬叔功(南海=・829)、松井稼頭央(西=・814)に次ぐ3位の成功率を残した。また、今季は91試合に出場しリーグ3位の31盗塁。引退年に30盗塁以上は珍しく、51年の坪内道典(名古屋=37盗塁)以来58年ぶり2人目になった。

 <過去の電撃引退>
 ◆83年・小林 繁(阪神=31歳)82年シーズン終了後に突然「15勝できなければ引退する」と宣言。翌83年は8年連続2ケタ勝利ながら、13勝14敗と公約には届かず。「肩の故障で思うような投球ができない」との理由で引退した。
 ◆87年・江川 卓(巨人=32歳)9月20日広島戦(広島)で9回2死から小早川に逆転2ランを被弾。試合後はマウンドにうずくまり号泣。13勝5敗の成績を残したが、シーズン終了後の11月12日の引退会見で「あの試合で江川卓の野球は終わった」と吐露。
 ◆06年・新庄 剛志(日本ハム=34歳)4月18日オリックス戦(東京D)の第1打席で本塁打。「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法」と名づけると、試合後のお立ち台で引退を表明。日本一となった翌日の10月27日にあらためて引退会見を行った。
 ※年齢は現役引退時

続きを表示

2009年12月10日のニュース