【川内の母・美加さん手記】最後まで諦めずに優輝らしい走りをしてくれた

[ 2017年8月6日 22:35 ]

川内を応援する母の美加さん(右)
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 英国・ロンドンで行われている陸上世界選手権の男子マラソンで、川内優輝(30=埼玉県庁)が9位に入った。日の丸ラストランと位置づけた今大会で入賞にはわずかに届かなかったが、3度目の世界選手権で自己最高順位。完全燃焼した公務員ランナーの母・美加さん(53)が本紙に手記を寄せ、これまでのランナー人生を振り返り、今後への思いを語った。

 転倒などのアクシデントを乗り越えて、よく頑張ってくれたと思います。最後まで諦めずに優輝らしい走りをしてくれたと思います。

 優輝がマラソンを始めたのは、小学1年の時でした。たまたま買い物に行ったスーパーマーケットで、ちびっこマラソン大会の参加募集を見て応募したんですよ。初レースは1500メートルで5位でした。練習をすれば速くなるんじゃないかと思って、公園でタイムトライアルを始めました。小学校卒業までほとんど毎日、全力疾走させましたね。

 私はもともと中距離のランナーだったので、遅いペースで走るという考えがなかったんですね。常にダッシュです。本人は口には出さなかったけど、「鬼ババア!」って思っていたでしょうね。公園を散歩している人に、「あんな小さい子にそこまで厳しくやらなくてもいいんじゃないか」と言われたこともありました。当時の練習が今に生きているとは、さすがに思いませんけど(笑い)。

 05年、優輝の学習院大進学が決まった頃、主人(葦生さん、享年59)が亡くなりました。次男の鮮輝と4つ、三男の鴻輝とは6つ学年が離れているので、父親代わりで面倒も見てくれました。優輝の大学卒業と同時に、鮮輝が国学院大に入って寮生活を始めました。今は3人とも社会人ですが、家計が苦しい時に、優輝が生活費をカバーしてくれたこともありました。

 優輝は実はインドア派なんです。運動するよりも、ゲームをしたり何かを調べることに没頭したり。家族旅行の企画をするのも好きで、「旅行会社に入りたい」と言っていた時期もありました。大学卒業後は趣味で走るんだろうなと思っていたのに、世界選手権で3度も代表に入って、日本男子の主将を務めるなんて想像できませんでした。

 ロンドンを日本代表の最後の大会にすることは、本人からずっと聞いていました。ドーハの世界選手権(19年)も東京五輪も暑いですから、嫌なんでしょう。ここまで本当によく頑張ってきました。ただ、優輝は走ることを辞めるわけじゃありません。これからは、自由に楽しく走るのもいいんじゃないかなって母親としては思っています。

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2017年8月6日のニュース