成田緑夢 パラだけでなく、いつかは五輪に 候補種目は「いくつかあるけど…」

[ 2017年3月9日 10:35 ]

成田緑夢インタビュー

成田緑夢
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 平昌(ピョンチャン)冬季パラリンピック(18年3月9〜18日)は9日で開幕まであと1年となった。スノーボードでトリノ五輪に出場した成田童夢と今井メロの弟、成田緑夢(ぐりむ、23=近畿医療専門学校)はパラ・スノーボードでメダルが期待されている。4年前の練習中の事故で、左足の膝から下に麻痺(まひ)が残る緑夢は障がいと向き合いながら初の大舞台を目指している。

【成田緑夢と一問一答】

 ――事故後はいつスポーツを再開した

 9カ月ぐらいして、父がスキーに連れて行ってくれました。この時が一番落ち込みました。初めて雪の上に乗って、「あれっ」と。今までできたことができない。ゲームで何万時間もプレーしてきたのに、セーブデータがゼロになったみたいな感じでした。

 ――再びスポーツに対する意欲を取り戻したきっかけは

 1年が経って、出場したウエイクボードの大会で優勝しました。その時にSNSでもらったメッセージが「僕も障がいを持っているけれど、もう一度頑張ろうと思いました」「勇気をもらいました」とこれまでよりも深いものでした。それでわかったのは僕がスポーツをすることで、影響を与えることができるんだとということ。もっと大きな舞台で戦いたいと思いました。

 ――どうやってパラ競技を選んだ

 パラリンピックを目指す選手の発掘イベントに出て、自分から卓球、ボートなどいろんな競技団体にも電話しました。初めに興味を持ってもらえたのが陸上。一昨年の10月から走り高跳びを始めて、半年ちょっとで世界ランク8位になりました。次に興味を持っていただいたのがスノーボードでした。

 ――スノーボードは約10年間離れていた

 兄と姉がトリノ五輪後に辞めてからは、一度兄と滑りに行ったぐらい。昨年2月の全国障がい者スノーボード選手権に、倉庫から引っ張ってきたボードとブーツでぶっつけ本番で出ました。そこで優勝して、夏に強化合宿に来ませんかと誘っていただいて、本格的に再開しました。

 ――かつてはスノボ一家として注目された

 まだ小学生だったので、当時は家族の流れに従っていました。(兄と姉は期待されたトリノで結果を出せなくて、バッシングを受けたが)ある程度は家族がシャットアウトしてくれたので、生活に支障があったわけではありません。今はむしろありがたいと思っています。あの時の話題性があったからこそ、こうして取り上げてもらえる。今、家族はみな良き理解者です。

 ――以前と違う難しさがあるのでは

 つま先やかかとに力を入れて曲がるんですが、、つま先側は足首が曲がる限界があるので多少曲がれる。かかとは限界がないので、転ぶことがある。以前は手の位置を気にしたことはなかったけれど、今は手でバランスを取ったりします。

 ――今後の目標は

 まずはパラリンピックに出て、自分が障がいを持っていることを知ってもらいたい。最終目標は障がいを持っている人、けがで引退を迫られている人、多くの人に夢や感動、希望や勇気を与えるアスリートになることです。20年東京パラリンピックは走り幅跳びで考えています。そして最後は五輪にも出たい。何で目指すかは僕の頭の中では数個ありますが、まだ言いません。

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