山下氏 何度も名勝負「最大最高のライバル」早すぎる別れに沈痛

[ 2015年1月21日 05:30 ]

名勝負忘れない──85年4月29日、柔道全日本選手権で対戦する斉藤仁さん(左)と山下氏

斉藤仁氏死去

 午前6時すぎの起床時に携帯への着信を見て訃報を予感したという全柔連の山下泰裕副会長の目は、赤く染まっていた。

 「最大で最高のライバル。互いに互いの存在が大きかったと思う」

 80年モスクワ五輪のボイコットに続き、81年の世界選手権で2階級制覇を達成し「心に穴があいた」という山下氏の背中を追ったのが、斉藤氏だった。「大きな体なのに柔軟性があって、いい選手になる」と直感した3歳年下の斉藤氏とは、8度対戦し8勝。だが、一本勝ちは最初の1試合だけで、差が詰まっていることを感じていたという。最後の対戦となった85年の全日本選手権決勝は、自身の引退試合。「組んだ瞬間、あっ、これは仁が私を超えたな、と感じた」と懐かしそうに振り返った。

 84年ロサンゼルス五輪では自身より1日出番が早い斉藤氏が「先輩、金獲って帰ってきます」とあいさつし「頼むぞ、仁」と握手したことや、宿舎で「これが金メダルです。あすは頼みます」と激励されたことを一番の思い出に挙げた。

 一昨年12月に病気を告白されたあと、昨年1月に病院で見舞った際は「1時間30分話したうち8割方は仁ちゃんの、日本柔道再建に懸ける思いだった」と、その熱意に驚嘆したエピソードも披露。体調悪化とともに「治療に専念してもらいたいという思いもあったが、日本柔道再建に向けた熱意が彼を支えていると感じた。職責を全うするのが、彼の意思だと」と苦しかった胸中を吐露した。「遺志を受け継いで、全柔道人で頑張るから、天国から見守っていてほしい」と最後の言葉を贈った。

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