ロス、ソウル五輪連続金 斉藤仁さん死去、54歳 がん性胸膜炎

[ 2015年1月21日 05:30 ]

20日御前2時56分、東大阪市内の病院でがん性胸膜炎のため死去した斉藤仁さん

 1984年ロサンゼルス、88年ソウル五輪の柔道男子金メダリストで、国士舘大教授、全日本柔道連盟(全柔連)強化委員長の斉藤仁(さいとう・ひとし)氏が20日午前2時56分、大阪府東大阪市内の病院でがん性胸膜炎のため死去した。54歳だった。一昨年末に肝内胆管がんが発覚。昨年は糖尿病も悪化する中、8月の世界選手権(ロシア)、9月のアジア大会(韓国)で選手団を率いたが、体調を悪化させ先月再入院していた。葬儀、告別式は近親者による密葬で行い、後日関係者によるお別れの会を行う予定。

 長年にわたり日本柔道界を支えてきた巨人が帰らぬ人となった。関係者によると、一昨年12月に肝内胆管がんが発覚。切除不可能と診断され、さまざまな治療法を試してきた。糖尿病悪化も重なり、昨年だけで体重は30キロ以上も減少。12月に再び体調を崩し都内の病院に入院したが、その後は妻・三恵子さんと2人の息子が住む大阪の自宅へ戻り、治療に専念した。年末年始は車椅子で一時帰宅。1月2日の54回目の誕生日は家族と過ごしたが、20日午前2時56分、再入院した東大阪市内の病院で力尽きた。

 斉藤氏は青森県青森市出身。国士舘大助手だった84年ロサンゼルス五輪の95キロ超級に出場。当時世界最強の山下泰裕(現全柔連副会長)が無差別級に出場したため、世界中の強豪選手が95キロ超級に集まる中で金メダルを獲得した。その山下との8度にわたる全日本選手権などでの死闘は勝利こそなかったものの、日本柔道史に残る名勝負として、今も語り継がれる。山下引退後の88年ソウルでは日本男子金メダルなしの危機を、柔道最終日に初の五輪連覇で救った。

 ソウル五輪後に引退、母校・国士舘大の監督に就任してからは04年アテネの鈴木桂治(現国士舘大監督)ら五輪金メダリストを育成。全日本男子でもコーチ、監督を歴任し、12年ロンドン五輪後には強化委員長に就任した。就任直後の13年には暴力的指導の問題などが発覚。柔道界に対する風当たりが強まる中、現場のトップとして立て直しに尽力してきた。

 昨年からは20年東京五輪を見据えジュニア世代の強化にも着手。小学生有望選手による初の合同合宿も始めた。その1期生には小学生チャンピオンになった次男・立(たつる)くんの姿もあった。現役時代、右膝の半月板を失いながらも執念で数々のタイトルを手にしてきた希代の柔道家。その手に託されていたロンドン五輪金メダル0からの日本男子の巻き返しを、見届けることなく静かに畳を降りた。

 ◆斉藤 仁(さいとう・ひとし)1961年(昭36)1月2日、青森市生まれ、54歳。青森市立筒井中で柔道を始め、卒業後に国士舘高に入学。2年時に同校をインターハイ初Vに導く。国士舘大卒業後、体育学部助手となった83年、世界選手権モスクワ大会無差別級で優勝。84年ロサンゼルス、88年ソウルと95キロ超級(当時)で日本男子初の五輪連覇を達成した。89年から国士舘大監督を務め、90年からは全日本男子の重量級担当コーチ。01年にヘッドコーチに昇格し、04年アテネ、08年北京両五輪の男子監督を務めた。家族は妻と2男。現役時代のサイズは1メートル81、150キロ。講道館柔道七段。

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