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【1978年10月】銃爪/日本のロックバンドのパイオニア ツイストの最大ヒット曲

[ 2011年10月22日 06:00 ]

【銃爪―ひきがね―/ツイスト】

 欧米のミュージシャンならともかく、日本でロックがまだ浸透していなかった時代に、「ロックを歌って認められたい」と大阪から出てきた5人組を一番支持したのは実は小中学生だったかもしれない。

 ボーカルの世良公則の独特なドスの効いた声にスタンドマイクを縦横無尽に“操り”ながら歌うスタイルは、放課後の清掃の時間に柄の長いほうきをマイクに見立ててマネをする男子の定番。これがさまざまなベストテン番組で1位になる原動力となった。

 ツイストの3枚目のシングル「銃爪―ひきがね―」は、TBS「ザ・ベストテン」で、78年9月7日から11月9日から10週連続1位に。81年に寺尾聰の「ルビーの指環」に抜かれるまで、同番組の最長1位記録だったが、それを支えたのが94万枚に達したレコード売り上げもさることながら、若い女性に混じって届く、男子小中高生のリクエストはがきだった。

 大阪芸大在学中に結成したロックバンドは、77年のヤマハ「ポプコン」、それに続く「世界歌謡祭」でグランプリを獲得。受賞曲「あんたのバラード」がそのままデビュー曲となり、46万枚のレコード売り上げを記録するヒット曲となった。

 ツイストは大学卒業とともに解散するつもりだったという。ポプコン出場はその集大成、最後の晴れ舞台だった。が、グランプリを獲って心が揺らいだ。プロとしてやっていくかどうか世良は悩みに悩んだ。デビューを決定付けたのは「演歌や歌謡曲、フォークだけが音楽じゃないということを証明したい」という意地だった。

 家族をはじめ、周囲は「ロックで食べていくことはできない。無謀だ」と口々に言った。だから、それを覆したいと思った。まさにロックな心意気。ツイストは世良のパフォーマンスとその声、楽曲の斬新さで強烈な印象を与え、「日本じゃロックは受け入れられない」という定説を打ち破った。

 81年のクリスマスに解散。わずか4年だったが、ツイストは日本でもロックバンドが“売れる”ということを身を持って示したパイオニア的存在だった。

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