松崎しげる 盟友・西田敏行と「まったく台本なし」バラエティー番組秘話 今も飲み友達、語り合うこととは

[ 2022年8月28日 14:51 ]

松崎しげる
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 歌手の松崎しげる(72)が28日放送のフジテレビ系「なりゆき街道旅」(日曜正午)にゲスト出演。盟友でもある俳優の西田敏行(74)との出会いを語った。

 
 松崎のデビューのきっかけは「野球を断念して、バンドやって。大学の時は学園紛争1年半くらい学校行けなかったのね。それで、そのままバンドやってたらプロにならないかって言われて。ブルーコメッツさんの会社のマネジャーが来てくれたの。その時スカウトしてくれたのが宇崎竜童くん。彼は作曲家として曲を作りたかったけど、それだけじゃ雇えないって言われてマネジャーやりながら曲書いてたんだよ。僕らの曲もいっぱい書いてもらって。そのころから阿木さんと付き合ってた。一途な人だよね」と懐かしんだ。

 1970年にソロとなった後、西田と出会うことになる。「六本木の飲み屋で。彼は劇団青年座でまったく顔も名前売れてない状態。俺もコマーシャルばっかり歌ってて何も知らないような」とお互いほぼ無名の状態だった。「当時はカラオケなんてないから、お店にギターが置いてあって弾き語りしてたの。そしたら一緒に歌おうって。そこから2人で六本木で有名になっちゃって。西やんって全く最初から最後まで歌える曲がなかったから、落語と同じでお題拝借。来ているお客さんから名前聞いたり、好きなタイプ聞いたり。飲み屋だから下ネタばっかり。放送禁止用語を普通に言ったらやばいけど、メロディーに乗せるときれいな雰囲気なのよ」と、即興で歌うことを1年ほど続けていたという。

 「それをあるプロデューサーが見てて、お前ら面白いなって」と即座に出演オファーが来たと言い「土曜日の12時から1時って言うからラジオの深夜番組だと思ってたらテレビの生番組。びっくりした」。これが70年代後半に放送されたTBSのバラエティー番組「ハッスル銀座」だった。「まったく台本なし。それで1時間、即興の歌をずっと歌う。司会進行が2人。すごいでしょう、その時代」と振り返った。

 「1977年っていう年は、2人でバーッと出てきた年で。一緒にみんなに認定されて。僕は愛のメモリーで、西ヤンは森繁久彌さんにアドリブで返せる男って有名になって。俺はレコード大賞に紅白歌合戦も出て、朝から晩まで一緒だった。それがうれしかったなあ」としみじみ。

 以来、50年以上に渡る付き合い。つい先日も飲みに行ったといい「74歳と72歳が止められるまで飲んでた」と苦笑。「結局、病院と薬の話してるんだよ。でも、凄くうれしいのは、彼は仕事に対しても凄いから。西田の背中を見ながら育ってきたよね。僕は体の具合悪いところいっぱいあるから病気自慢するけど、あの人は絶対病気自慢しない。一切自分のウィークポイントの話をしなくなった。なにしろ楽しむことしかしない人。弱気な発言は一回も聞いたことない。70過ぎたら学ぶべきだなって。いつもファイティングポーズをしていて、遊んでる時はジャブなんだよね」と刺激を受けてきた様子だった。

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2022年8月28日のニュース