李麗仙さん死去 79歳、長男・大鶴義丹「唯一無二のアングラ女優人生を全う」

[ 2021年6月26日 05:30 ]

1982年4月、唐十郎氏と状況劇場の稽古に臨む李麗仙(当時は李礼仙)さん
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 アングラ演劇で活躍し、TBSドラマ「3年B組金八先生」などに出演した俳優の李麗仙(り・れいせん、本名大鶴初子=おおつる・はつこ)さんが22日午前、肺炎のため東京都杉並区の病院で死去した。79歳。東京都出身。葬儀は26日、都内の斎場で近親者で行う。喪主は俳優の長男大鶴義丹(おおつる・ぎたん、53)。

 関係者によると、2018年に脳梗塞を発症。それまで義丹と同居していたが、都内にある病院併設の施設に入所し、リハビリに励んでいた。今春に肺炎を患ってからは別の病院に移り入院した。

 施設に入ってからも定期的に会っていた義丹だが、入院後は新型コロナの影響もあり、なかなか会えなかったという。なんとか最期をみとることができたが、言葉を交わすことはできなかった。肺炎は新型コロナウイルスによるものではない。

 義丹は所属事務所を通じ「唯一無二のアングラ女優人生を全うして、一片の悔いなき人生だったと思います」と追悼。李さんの元夫で義丹の父の劇作家、唐十郎氏(81)は「亡くなった日の翌朝、義丹さんから連絡を受け、自宅にお別れに行きました」とコメントした。

 1960年代から、唐氏らと劇団「状況劇場」で活動。結成初期は資金を稼ぐため、油で溶いた金粉を裸体の上に塗りたくる「金粉ショー」で地方のキャバレーを回った。

 劇団は67年に初めて移動式の「紅テント」を東京・新宿の花園神社に建て、「腰巻お仙」「ベンガルの虎」など意欲作を次々に上演し、韓国など海外公演も行う人気に。李さんは個性的な演技で「アングラの女王」と評された。私生活では67年に唐氏と結婚。翌年に義丹を産んだが88年に離婚。ただ義丹によると「最期まで盟友としての親交はあった」という。

 在日韓国人3世として生まれ、通名や芸名を含め5つの名前を使い分けた。幼少期に国籍をからかわれることもあったが「何が悪い。おまえは日本人じゃないか」と言い返す負けん気と気丈さを持っていた。

 「金八先生」第4シリーズで堅物の教頭を演じて存在感を示すなど、映像の分野でも活躍した。最後の舞台は17年「六条御息所」。心から芝居を愛し、現場復帰を目指していたが、かなわなかった。

 ◇李 麗仙(り・れいせん)本名大鶴初子(おおつる・はつこ)。1942年(昭17)3月25日生まれ、東京都出身。中学生時代に児童劇団に入り、都立広尾高では演劇部。舞台芸術学院で学び演劇の道に進んだ。75年に日本国籍取得。代表作は73年公開の映画「女囚さそり けもの部屋」、87年のTBSドラマ「親子ジグザグ」、93年のNHK大河ドラマ「炎立つ」など。

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