米朝さん合同葬 1500人別れ…文枝「血の努力を無駄にしない」

[ 2015年3月26日 05:30 ]

喪主の桂米団治(中央)は桂米朝さんの遺影を手に霊きゅう車に納まる棺を見つめる

 19日に肺炎のため89歳で亡くなった人間国宝で上方落語家の桂米朝さんの合同葬が25日、大阪府吹田市の公益社千里会館で営まれた。上方落語協会会長の桂文枝(71)ら芸能関係者だけでなく、数多くのファンが駆け付け1500人以上が参列。文枝は「風前の灯火(ともしび)だった上方落語を残してくれた血のにじむような努力を無駄にしないよう、努力してまいります」と“米朝スピリット”を受け継ぐ覚悟を語った。

 03年7月に協会会長職に就いて以来、若手育成に力を注ぎ、旗振り役を務めてきた文枝が、上方の落語家が一丸となって“米朝スピリット”を継承することを誓った。

 弔辞の冒頭、文枝のその声は湿っていた。米朝さんの師匠、四代目桂米団治さんが「落語は芸術であらねばならぬ」と話していた逸話を紹介し、「米朝師匠はまさしく、その言葉通り、実践されました。人間国宝、文化勲章を受章。この偉業は我々、上方落語家の誇りでございます」と、ほほ笑む遺影に語りかけた。

 大阪・天満天神繁昌亭の舞台にかかる米朝さん直筆の「楽」の字。9年前、文枝は「笑いは薬になる」との意味で、米朝さんに「薬」と書いてもらうつもりで兵庫県尼崎市内の自宅を訪問。しかし、米朝さんは「お客さまに心から楽しんでいただいてこそ本物の落語家」との思いから、「楽」としたためたという。

 文枝は、力のこもった声でこう結んだ。「風前の灯火だった上方落語を残してくださった。血のにじむような努力を無駄にしないよう、師匠の書かれた“楽”の字のもと努力してまいります。師匠のご遺志を受け継いでいく」。言葉の端々から決意の重さがにじんでいた。

 合同葬は神式で営まれ、生前の行いを尊んで贈る諡(おくりな)は「故中川清大人之命」(こなかがわきよしうしのみこと)。天皇陛下から弔意が寄せられた。喪主を務めた長男の桂米団治(56)は、米朝さんが愛用していた紋付きはかま姿で「高い所から見守ってくれていると思う」と最後まで気丈だった。

 斎場の外には最後を見送ろうとファン数百人も詰めかけた。米朝さんがレギュラー出演したABCテレビ「味の招待席」(80~92年)のスタッフを務めた豊中市の70代男性は、「実直で博学な方で優しいオヤジという感じだった。ご苦労してこられたから安らかにお休みください、と言いに来た」と語った。

 出棺時、米朝さんが生前に使用していた出囃子(ばやし)「三下がり鞨鼓(かっこ)」を一門の三味線や笛、太鼓が生で演じた。長く親しまれた出囃子で、米朝さんを天国の舞台へ送り出した。

 ▼主な参列者 柳亭市馬落語協会会長、桂文枝、近藤正臣、春風亭小朝、月亭可朝、西川きよし、桂きん枝、上岡龍太郎、松尾貴史、浜村淳、茂山宗彦、桂南光、難波利三、三林京子、桂小春団治、桂文福、桂あやめ、平川幸男(Wヤング)、角淳一、中山泰秀(外務副大臣)井戸敏三(兵庫県知事) =順不同、敬称略

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