「李香蘭」山口淑子さん激動の人生に幕 参院議員としても活躍

[ 2014年9月15日 05:30 ]

亡くなった山口淑子さん

 戦前に「李香蘭」の名で一世を風靡(ふうび)し、戦後も女優、歌手として国際的に活躍した元参院議員の山口淑子(やまぐち・よしこ、本名大鷹淑子=おおたか・よしこ)さんが7日午前10時42分、心不全のため東京都千代田区の自宅で亡くなっていたことが14日、分かった。94歳。中国生まれ。告別式は親族で行った。日本と中国、2つの“祖国”の間で翻弄(ほんろう)された波瀾(はらん)万丈の人生だった。

 訃報を受け山口さんの自宅には、報道各社が集まった。インターホン越しに取材に応じた山口さんの妹は「最近は(体調不良で)寝たり起きたりを繰り返していました」と話した。

 自宅前では、参院議員時代に10年間、秘書を務めた千葉県市川市議の寒川一郎氏(78)が報道陣に対応。山口さんは1958年に再婚した外交官の大鷹弘さんが01年に死去後、自宅で一人暮らし。ホームヘルパーが24時間態勢で身の回りの世話を担当していた。家の中でも車いす生活で、2年ほど前から外出することはなかったが、電話には出るなど元気だった。

 しかし、亡くなる1週間ほど前に体調が悪化。弟、妹と親族にみとられ、最後は眠るように息を引き取った。9日に荼毘(だび)に付された。遺骨は、喜劇王チャプリンやサッチャー元英首相らとの貴重なツーショット写真が飾られた自宅に安置されているという。

 寒川氏が最後に会ったのは8月中旬。励ましの言葉をかけるつもりが、逆に激励された。08年に劇団四季の「ミュージカル李香蘭」を観賞したのが最後の公の場で、来年、再演の可能性があることを聞き「楽しみにしていた」という。

 旧満州(現中国東北部)育ち。「日満親善に」と頼まれ歌手になったが、映画の吹き替えにと呼ばれて行った現場で、映画の主役に抜てきされた。日中戦争開戦翌年の38年、中国人女優「李香蘭」として映画デビュー。日本人であることは伏せられた。

 日本で長谷川一夫さんと共演した「白蘭の歌」などの出演映画が次々とヒット。北京語も日本語もできて、類いまれな美貌と美声の持ち主だった李香蘭は、日満両国で絶大な人気を集めた。41年に開いた東京・日劇での公演には、約10万人が殺到。入場できなかったファンが劇場を7周半にわたり取り囲み、暴動騒ぎが起きる熱狂ぶりだった。

 終戦時は中国人として収容され、日本人に協力した「売国奴」として裁判にかけられ、死刑になる可能性もあった。日本人であることが証明され国外追放処分となり、46年に帰国。その後、日本名「山口淑子」に戻って芸能活動に復帰した。

 69年4月にフジテレビ系ワイドショー「3時のあなた」のメーン司会に就任。お茶の間で親しまれる存在となったが、今度は参院議員へ転身。国際平和や従軍慰安婦問題などに取り組み、92年まで連続3期務めた。

 激動の昭和史を体現した山口さんの半生は「ミュージカル李香蘭」のほか、沢口靖子(49)や上戸彩(29)らの主演で度々ドラマ化。伝説の女優として注目を集め続けた。

 ◆山口 淑子(やまぐち・よしこ)1920年(大9)2月12日、中国生まれ。「李香蘭」を名乗り、1934年に満州のラジオ局の歌番組でデビュー。歌手、女優として、戦争中の日中で愛された。終戦後は日本を拠点に米や香港の映画、ミュージカルでも活躍。74~92年、参議院議員を務めた。93年、勲二等宝冠章を受章。

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