小沢昭一さん死去 個性的脇役、独特の語り口でラジオ番組39年

[ 2012年12月11日 06:00 ]

TBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で1998年4月「スポニチ文化芸術大賞」優秀賞を受賞、贈賞式であいさつする小沢昭一さん

 個性的な脇役として活躍し、民衆芸能の研究でも知られた俳優の小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため東京都世田谷区の自宅で死去した。83歳。東京都出身。映画、舞台のほか、73年に放送がスタートしたTBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は1万回を超す長寿番組となり、独特の語り口で人気を集めた。

 自宅前で対応したマネジャーの津島滋人(しげと)さんによれば、98年に前立腺がんが見つかり、10年には頸椎(けいつい)に転移。入退院を繰り返しながら放射線治療を受けるなどしてきた。10月22日に退院してからは自宅で療養を続けていた。津島さんは「英子夫人がみとりましたが、苦しまずに息を引き取りました。11月上旬に“小沢昭一的こころ”の収録(放送済み)を行ったのが最後の仕事となりました」と語った。

 悲報を聞いて、自宅には麻布中学時代から親交のあった俳優の加藤武(83)や女優の中村メイコ(78)らが駆けつけた。加藤は「8月に俳句の会で桂米朝さんに会いに一緒に大阪に行ったのが最後。他人に頼らず、自分を信じて生きた人だった。ベッドに安置されていたが、こんな小沢には会いたくなかった。思わず“何で逝っちゃったんだ、バカ”と泣いてしまった」と声を震わせた。

 親交のあった放送タレントの永六輔(79)はラジオ番組に生出演し「死ぬなら自宅がいいと言っていたからそれは良かったが、どう(心の)整理をつけるか」と痛切な胸中を明かした。その上で小沢さんが最近散歩の途中に詠んだという「退院の 一歩一歩の 落ち葉踏む」などの俳句を披露し「自分のやったことを威張らない人だった」としのんだ。

 早大在学中に俳優座養成所を経て、51年に「椎茸と雄弁」で初舞台。川島雄三監督の「幕末太陽伝」や大学の先輩である今村昌平監督の「“エロ事師たち”より 人類学入門」など多くの映画に出演。82年には「劇団しゃぼん玉座」を創設し、一人芝居「唐来参和」など井上ひさし作品を各地で上演。

 73年1月に始まった「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は緩急つけた一人語りが人気を集め、12月7日までに通算1万410回を放送。入院後は過去の「傑作選」で対応してきた。25年の節目となった98年にはスポニチ文化芸術大賞優秀賞を受賞。「今後はいつまでも続けようというスケベ根性を出さず、きょう終わってもいいように全力投球していきます」と笑顔で話していた。今後の放送についてはTBSが検討に入り、11日から14日までは追悼コーナーを設ける。

 ◆小沢 昭一(おざわ・しょういち)1929年(昭4)4月6日、東京都生まれ。「にあんちゃん」でブルーリボン賞助演男優賞、「“エロ事師たち”より 人類学入門」で毎日映画コンクール男優主演賞受賞。各地に残る伝統芸、放浪芸をまとめたレコード「日本の放浪芸」も人気。「ものがたり・芸能と社会」など著書も多数。今月20日に岩波書店から句集が出版予定。94年紫綬褒章、01年勲四等旭日小綬章のほか菊池寛賞など受賞。04年には博物館明治村(愛知県犬山市)の村長に就任。55年に英子夫人と結婚、1男2女がいる。

 ▽前立腺がん 65歳以上で増加傾向にあり、近年患者は急増。全体的に進行は遅く、がんが前立腺内だけで、手術をした場合の10年生存率は90%、放射線治療が施行された場合は80%と高い。間寛平(63)、稲川淳二(65)らが公表。前立腺は男性だけにある精液の一部をつくる臓器。

続きを表示

この記事のフォト

2012年12月11日のニュース