扮装シリーズもう見られない…黒柳徹子涙「何でも面白がる天才」

[ 2012年12月11日 07:30 ]

「徹子の部屋」に小沢さんと制服姿で出演した時の写真を披露する黒柳徹子

小沢昭一さん死去

 盟友の黒柳徹子(79)は10日、都内で会見し「好奇心の塊。何でも面白がる天才だった」と目を潤ませた。

 61~64年に放送されたNHKのコメディードラマ「若い季節」で共演して以来の付き合い。俳句仲間でもある。最後に会ったのも8月29日の俳句の会で、黒柳が詠んだ句「朝霧に 下駄引きずって 疎開の子」を小沢さんが札に書き入れた。訃報を聞いて思い出したのは、40年ほど前に「100歳まで俳句やるんだ」と小沢さんに約束した時のこと。「(その時は)誰もいないよ」と言われ、寂しさで泣いてしまったという。

 「徹子の部屋」には通算25回出演。そのうち15回は小沢さんが提案した「扮装シリーズ」。学生、結婚式などさまざまなシチュエーションの衣装を着て番組を盛り上げた。

 ▼愛川欽也(俳優座養成所の後輩)青春時代には俳優座の近所の喫茶店やそば店で、どのくらい話をしたか分かりません。僕の話術も小沢さんから教わったものだと思います。先輩がまた一人いなくなってしまいました。「昭和」が寂しくなりますね。

 ▼桂米朝(落語家)今年の夏、私の米寿記念の落語会に来てくれた。すでに体調が悪かったんですが、座談の途中、(ともに薫陶を受けた)正岡容先生の話題になった時、いきなり大きな声で(浪曲の)「灰神楽三太郎」の冒頭をうなり、会場を大いに沸かせてくれた。またいろいろと芸談を交わそうと思てたのに…、また寂しさが一つ増えました。

 ▼大西信行氏(脚本家、麻布中学の同級生)8月に会った時は元気だったんですが…。元気な役が多くて、死人の役は1回だけしかなかったけど、きょうはちゃんと芝居していた。前から覚悟はしていましたが、驚きました。とにかく一生懸命な人でした。

 ▼神津善行氏(作曲家)僕は麻布中学の2年後輩で、ずっと憧れていました。お礼の言葉しか出てきません。

 ▼矢野誠一氏(文芸評論家、麻布中学の後輩)60年間いろいろお世話になりっぱなしでした。体の具合がよくないのは聞いていましたが、そんなに悪いとは思っていませんでした。8月に大阪で会った時はお元気だったのに…。

 ▼長山藍子(女優)新劇の尊敬する大先輩でした。ラジオの番組では庶民的でユーモアがあり洒脱で良き江戸っ子の印象でしたが、普段の小沢さんはとてもシャイで物静かで素敵な方でした。素晴らしい大先輩で良き役者、良き日本人がまた一人いなくなってとても寂しい気持ちです。

 ≪12日に追悼番組≫NHKはBSプレミアムで12日午後3時から「100年インタビュー 小沢昭一」を放送。07年の番組で、昭和から平成を生き抜いた人生観などを語る内容。16日正午からは「わたしが子どもだったころ 俳優 小沢昭一」を放送する。

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2012年12月11日のニュース