南田洋子さん逝く…入院5日、手術実らず

[ 2009年10月22日 06:00 ]

1975年5月、テレビ局の楽屋でくつろぐ長門裕之と南田洋子さん夫妻

 「太陽の季節」など多くの映画やドラマに出演し、17日に意識障害を起こして入院していた女優の南田洋子(みなみだ・ようこ、本名加藤洋子=かとう・ようこ)さんが21日午前10時56分、くも膜下出血のため東京都内の病院で死去した。76歳。東京都出身。夫で俳優の長門裕之(75)は舞台に出演中のため最期をみとることができず、「さよならも言わないまま永眠しました…」と悲しみに暮れた。

 入院から5日目、南田さんは集中治療室で親族数人に見守られながら息を引き取った。事務所関係者は「安らかで、さすが女優さんというようなきれいな顔でした」と語った。
 17日に都内の自宅から救急搬送された後、くも膜下出血と診断され緊急手術を受けた。20日には長門が会見し、南田さんの状況を「意識は戻らず、自分で呼吸ができない状態」と明かしていた。
 遺体は21日正午すぎ、東京都世田谷区内の自宅に移され、寝室に安置された。長門は午後8時に帰宅。車を降りると、迎えに出ていた事務所関係者と抱き合った後、無念の表情を浮かべながら家の中に入った。
 南田さんは1949年、高校を卒業して茨城県土浦市から上京。故水谷八重子さんの弟子となり、51年に大映ニューフェースとして映画界入りした。同期に若尾文子(75)がいる。同年「美女と盗賊」でデビューし、53年の「十代の性典」で注目を集めた。
 55年に大映から日活に移籍。芥川賞を受賞した石原慎太郎氏(現東京都知事)の「太陽の季節」を腸の病気で入院していた際に読んで感激、自ら日活に映画化を進言し、長門と主演。大ヒットし看板スターに躍り出た。
 この共演をきっかけに5年の交際期間を経て61年3月9日に結婚。芸能界きっての“おしどり夫婦”として知られた。結婚後も女優業を続け、63年「サムライの子」の好演でブルーリボン助演女優賞を獲得。翌64年には長門とともに「人間プロダクション」を設立し、ドラマ制作にも参画。65年からはフジの音楽番組「ミュージックフェア」の司会を夫と務めた。
 4年ほど前から認知症の症状が見られ、長門が在宅で介護。08年秋にはテレビ番組で公表し、闘病の様子と長門の献身的な介護ぶりが話題となっていた。今年2月に脳こうそくと診断され、4月1日に意識が混濁状態となり入院したが、同18日には退院。その後は症状が良くなり、今月9日のTBS「中居正広のキンスマ!~波瀾万丈スペシャル」で元気な様子が放送された。長門が3日から始まった舞台に出掛ける際にも「行ってらっしゃい」と見送っていたという。ただ、救急搬送された17日だけは「寒い。ごめんね」と言って見送りはなかったという。

 ◆南田 洋子(みなみだ・ようこ)1933年(昭8)3月1日、東京生まれ。父は米穀商、母は日本舞踊の師匠。51年「美女と盗賊」で映画デビュー。旧姓「北田」の北を「暖かい方がいい」のアドバイスを受け南に変えて芸名にした。「太陽の季節」で人気を得て以来、映画「幕末太陽傳」「豚と軍艦」、ドラマ「若者たち」「続・氷点」「わかば」などで活躍。認知症が悪化した06年まで女優活動を続けた。

続きを表示

2009年10月22日のニュース