90年代最高の投手を生んだ「魔法の言葉」 中尾孝義氏「真っすぐとスライダーだけで十分でした」

[ 2023年7月28日 18:26 ]

阪神スカウト時代の中尾孝義氏(2013年撮影)
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 中日、巨人、西武で活躍し、1982年(昭57)のセ・リーグMVPにも輝いた中尾孝義氏(67)がYouTube「ピカイチ名古屋チャンネル」にゲスト出演。巨人時代に復活のきっかけを与え、後に球界を代表するエースに成長した投手とのエピソードを語った。

 中尾氏といえば、軽いフットワークと強肩、俊足、巧打で、「捕手の概念を変えた男」として知られる名プレーヤー。中日で82、88年のリーグ優勝に貢献したものの、同年オフに西本聖、加茂川重治両投手との1対2交換トレードで巨人へ移籍した。

 「(中日を)出るのは寂しかったけど、ジャイアンツに行ったら、もう一回キャッチャーをやれるという思いがすごくあった」

 意気に感じた外野手からの再転向。新天地で与えられた最初のミッションが、斎藤雅樹投手の「再生」だった。当時の斎藤は期待されながら、ローテーションに定着できない若手の一人。首脳陣からも「斎藤を何とかしてくれ」と請われ、捕手として期待を掛けられた中尾氏は「野球が楽しくなってきた」と当時の心境を明かす。

 中尾氏によれば、持っているボールは一級品。キャンプなどで話をするうちに、「バッターに当てたり、甘くなって打たれるから、インコースを投げるのが怖い」との“本音”を引き出した。そこで中尾氏は「(打たれても)オレが全部責任持つから」としたうえで、解決策を提示した。「インコースを投げる時に“ここ”じゃなくて、“この辺”でいいよ。だいたい(のコース)でええから」

 もともと球威はチーム屈指。少し甘くなっても、相手が凡打の山を築くことで、右腕に自信が芽生えていった。「真っすぐとスライダーだけで十分でした。投げるたびに(胸を張りながら)こんな感じでマウンドへ行くし…」。その年から2年連続で20勝を挙げた斎藤は、5度の最多勝、3度の最優秀防御率を獲得するなど、通算180勝をマークし、90年代最高の投手と呼ばれるまでに成長した。

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