慶応1年・清原Jr.勝児「最後のセンバツ」父の指定席「4番」で出場必ず!

[ 2023年1月5日 05:00 ]

トス打撃を行う慶応・清原(撮影・木村 揚輔) 
Photo By スポニチ

 聖地に「清原伝説」をよみがえらせる。昨秋の関東大会で4強入りし、今春選抜出場を当確としている慶応(神奈川)が4日、横浜市内の同校グラウンドで始動した。西武、巨人などで活躍した清原和博氏(55)の次男・勝児内野手(1年)は最初で最後となる選抜大会。勝負強い打撃が武器の右打者は、父がPL学園(大阪)時代に担い続けた「4番」奪取を誓った。

 風吹けば一瞬にして体温を奪われる気温9度。だが、素振りで空を切る清原の顔は汗で輝いた。本能とも、宿命ともいえる決意で一振りに魂を込めた。

 「4番を打ちたい。ずっと“4番がいい”と思ってきました。クリーンアップの渡辺、加藤、福井が同じ右打者。その3人よりも打って4番を打ちたい」

 慶応入学後、初めて口にした「4番奪取」への決意だった。父はPL学園時代に5度出場した甲子園の全26試合で4番を担い、2度の日本一に導いた。史上最多の通算13本塁打をマークして「伝説」となり、「甲子園は清原のためにあるのか」の名実況も生まれた。「チームの勝敗の責任を背負うのが4番や」と口癖のように話した父が、誰よりもこだわった打順であり、「聖域」ともいえた。

 ここまで2年間、慶応で公式戦での4番経験どころか、クリーンアップは一度もない。元来バントや右打ちなどの小技が武器。昨秋に初のベンチ入りで三塁レギュラーをつかみ、7、8番など下位打線を担ったが、聖地で大役を担う可能性は十分にある。1メートル75、81キロの体格で高校通算8本塁打。新チームの公式戦の全12試合に出場し、打率・400、2本塁打、14打点をマークしてきた。選抜出場当確ラインの関東大会4強進出に貢献した勝負強さは父親譲りだ。

 12月31日には和博氏の元妻で母の亜希さんがインスタグラムのストーリーズで家族4人での写真を公開。12月中に両親、東京六大学の慶大でプレーする長男・正吾内野手(2年)と撮影に臨み「あんまり撮る機会がないので良かったなという感じ」と振り返った。

 単位不足で2度目の1年生を過ごしており、規定で今夏までしかプレーできない。最初で最後の選抜で目標は「日本一」。父からは「どんな試合よりも一番覚えているのが甲子園」と教わった。
 他者に喜びをもたらすことを意味する「他喜力」がチームのテーマ。「誰を喜ばせたいか?」の問いには「秘密でいいですか」と優しく笑った。この春、「4番・清原君」のアナウンスを愛する家族に届けてみせる。(柳内 遼平)

 ≪「勝児」の名前の由来は亡き双子のきょうだいの分まで≫記者が、必ず選手にする質問がある。「名前の由来は何?」。子供の名には親からの強い願いが込められている。一人娘を持つ父親としてそう信じている。質問すると「勝児」の名もそうだと分かった。清原が自身の名の由来を知ったのは小6の時。「元々双子で、その子がいきなり(母のおなかの中で)いなくなったみたい。それで“その子の分まで勝て”という意味で、勝児ってつけてもらいました」。甲子園出場の夢は間近に迫り「(自分には)2つ分の命があるんだなと思います」と思いをはせる。初の聖地で、亡ききょうだいの分までプレーするつもりだ。(アマチュア野球担当 柳内 遼平)

 ▽清原和博の4番成績 春夏5度出場した甲子園では、全26試合で4番を務め91打数40安打、打率.440、13本塁打、29打点。通算13本塁打は今も最多記録。プロでは西武1年目の86年10月7日ロッテ戦で初4番を務め3打席目で4番初アーチ。オリックス時代の08年10月の引退試合まで1465試合に先発4番で出場し、打率.267、341本塁打、987打点をマークした。

 ≪27日出場36校決定、3月18日から開幕≫27日に行われる選考委員会で選抜に出場する36校が決定する。第95回の記念大会で関東・東京からは例年より1増の7校が選出され、昨秋の関東大会で4強入りした慶応の選出は決定的だ。昨年12月1日から高校野球は対外試合禁止期間となっており、3月4日に練習試合が解禁となる。選抜の組み合わせ抽選は同10日に行われ、同18日から14日間の大会が開幕する。

続きを表示

この記事のフォト

2023年1月5日のニュース