【巨人1位・浅野翔吾物語(1)】“きょうは何本ヒット打つ”親子で目標設定したことが準備する習慣に

[ 2022年10月21日 12:00 ]

<ドラフト会議>ドラフト会議で巨人の交渉権獲得が決まり、部員に祝福される浅野(撮影・岸 良祐) 
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 巨人、阪神の2球団競合の末、巨人からドラフト1位指名された高松商・浅野翔吾外野手(17)。三拍子揃った超高校級スラッガーに成長するまでの秘話を、スポニチアネックスで4回にわたって連載する。

 試合に臨むにあたって、浅野家では絶対に守らなければならないルールがあった。当日の朝。翔吾は試合での目標を、父・幹司さんに伝えてから家を出発していた。

 「目標を言うてから行かすんですよ。小学校のときはなんも言わんでもヒットを打てたり、というのがあったんですけど、中学校くらいからは“何本ヒットを打つ”“きょうはホームランを打つ”とか目標を立てさせて、達成するためにどうやって行動していくかと…。やっぱり準備が大切ですから」

 父・幹司さんが翔吾に野球を教える上で何よりも伝えたかったのは、準備することの大切さだった。試合で思うような結果を出すためには、当日の朝からどんな準備をすれば良いのか。例えば打席に入った際の、投手との間合い。投手に対して立ち遅れるようであれば、良い結果は生まれない。達成すべき目標から逆算して行動する習慣を早くから身につけたことが、翔吾を巨人からドラフト1位指名される選手にまで押し上げた。

 「それこそサッカーするとか言われたら親も困るので、遊びのバット、ボール、グラブを買い与えました」

 野球への手ほどきをしたのは、名門・徳島商で野球部に所属していた幹司さんだった。小学校に入学する以前から、野球に親しめるような環境を整えた。小学校に入学してからは、親子2人でのキャッチボールを開始。土日になると、公園で「投げる」「捕る」「打つ」を遊び感覚でやらせた。小学3年生で屋島野球スポーツ少年団に入団。幹司さんが「ある程度できるようになっとったらいい」ともくろんでいた通り、チーム加入時から同学年では飛び抜けた存在になっていた。

 「野球バカ。本当に野球が好きだった。遊ぶ時も野球。3年生で野球を始めてからは野球中心の生活になりましたね」(幹司さん)

 平日ももちろん野球漬け。週末になれば幹司さんの運転する車の助手席に座り、練習、試合へと向かった。小学5年生からはチームが合併したため屋島シーホークスの一員に。最上級生の6年生では、幹司さんがチームの監督を務める“親子鷹”となった。

 「それまでの指導者さんにも恵まれ、良い指導をしてもらっていた。基礎をつくっていただいて。ただ、監督になってからは翔吾を見本ではないですけど、風当たりを強く、厳しく接しました」

 翔吾に肩入れすることは一切なく、チーム全体への目配り、気配りに徹した。翔吾への厳しい指導は仲間を奮い立たせると同時に、翔吾の負けず嫌いにも火を付けた。俊足、強肩に加え、圧倒的な飛距離を誇る捕手に成長。幹司さんの指導はやがて実を結び、県大会で3位入賞を果たすと、屋島シーホークスを卒団後に結成された合併チームでは見事に香川県1位に輝いた。

 ※(2)に続く。

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