清原和博氏長男・正吾が神宮デビュー!慶大1年内野手、代打で右飛も“父譲り”逆方向に鋭い打球

[ 2021年6月3日 05:30 ]

東京六大学野球・フレッシュトーナメント   慶大2ー0東大 ( 2021年6月2日    神宮 )

<慶大・東大>7回、代打で出場した慶大・清原正吾は右飛に倒れる(撮影・沢田 明徳)
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 偉大な父の背中を追う旅が始まった。東京六大学野球の新人戦にあたるフレッシュトーナメントが2日、神宮で行われ、西武、巨人などで活躍しプロ通算525本塁打を放った清原和博氏(53)の長男で慶大1年生の正吾内野手が東大戦で公式戦デビュー。1―0の7回1死から代打で右飛に倒れたが、父の現役時代のように右打席から逆方向に鋭い打球を放った。慶大は3日に法大と決勝戦を行う。

 ヘルメットをかぶりバットを手にした。滑り止めのスプレーをたっぷりかける。父が最後に神宮でプレーしたのはオリックス時代の06年。15年ぶりに「清原」の打席を告げるアナウンスが響いた。「バッター、清原君」。1―0の7回1死。父と同じ右打席に立った。

 1メートル86、90キロ。父がプロ1年目だった18歳の姿とだぶる。フォームもそっくりだ。左腕・小島が投じた4球目。外角119キロにバットを出した。快音を残した打球が右中間方向へ。結果は右飛だった。待ちに待った神宮デビュー。父も見守る前でファーストスイングで鋭い打球を飛ばし「一発で仕留めることができず悔しいけど、次のチャンスに向けてしっかり準備したい」と言葉に力を込めた。

 父は同じ18歳でプロデビューした。西武1年目だった1986年4月5日の南海戦で一塁守備から途中出場し、2打席目で「怪物伝説」の幕開けとなる本塁打も記録。プロ野球歴代5位の525本塁打を放った偉大な父の長男として生を受けた18歳は、父もプレーした球場で記念の一歩を踏み出した。

 小学6年生までは野球に没頭し、中学はバレーボール、高校はアメリカンフットボール部に所属した。昨年のコロナ禍での自粛期間中に父と弟の3人で野球の練習をして野球への情熱が復活。「バレーのジャンプ力、アメフトはフィジカルが(野球に)役に立つ」と言う。入学後のBチームの紅白戦では2試合連続本塁打を放ち、オープン戦でも結果を残して1、2年生で編成される今回のベンチ入りをつかんだ。出場機会がなかった5月31日の早大戦後には「オヤジのような選手になりたい」と壮大な目標も語っていた。

 現役時代の父が得意としていた逆方向への打撃。スタンドで見守った堀井哲也監督は「結果は出なかったが80点。来年から(レギュラー争いに)絡む可能性はある」と期待する。

 入学直後は外野手登録だったが、柔らかい送球が評価され父と同じ内野手登録に変更となった。今春含め最近9シーズンで4度の優勝を誇る強豪で狙うは一塁の定位置。6年間のブランクをはね返し、父に雄姿を見せる。(川島 毅洋)

 ▽清原和博のプロデビュー戦 86年4月5日の南海戦(西武)の6回、一塁の守備に就きプロ初出場。7回1死二、三塁で迎えた初打席は四球を選び、9回2死の第2打席、藤本修の初球を左中間芝生席へ運んだ。推定120メートルの初アーチに、一塁ベースを回った後に右手を突き上げ、二塁と三塁の間では両手を広げて大ジャンプするほど大喜び。「夢みたいです。あまりにうれしくて」と目を真っ赤にして話した。

 【プロ選手2世の神宮デビュー】

 ☆立大・長嶋一茂(=父・茂雄) 84年4月14日の法大との開幕戦に1年生ながら「7番・三塁」で先発出場。レギュラーの4年生が右足首を負傷したため、当日朝に急きょ出場が決定したが、中飛、三振、右飛と3打数無安打に守備でもトンネルなどほろ苦い内容だった。

 ☆明大・野村克則(=父・克也) 92年6月1日の立大との新人戦に「4番・一塁」で出場。7回無死三塁で迎えた第3打席で右中間に先制打を放つと第4打席には左翼線二塁打。3回守備でスパイクが破れるアクシデントで初失策を記録し、4回にはバント失敗もあった。

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