非力ペスキー弾がフェンウェイ・パーク名物「ペスキー・ポール」命名の由来

[ 2021年5月18日 02:30 ]

ジョニー・ペスキー氏(右)を取材するスポニチ本紙奥田秀樹通信員
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 07年の米フロリダ州。レッドソックスの春季キャンプで、当時87歳のジョニー・ペスキーさんは快く取材に応じてくれた。現役時代の身長は1メートル75。年のせいもあるだろうが、もっと小柄に感じた。

 本拠地球場の右翼ポールが「ペスキー・ポール」と命名されたのは、その半年前。「これだけ長く、チームに関わってこられたことは幸運。名誉なこと」とうれしそうだった。新人年から3年連続200安打以上はイチローに破られるまで大リーグ記録。シーズン最多が3本塁打と非力な左打者が、飛距離92メートルの右翼ポール際に本塁打を打ち込んでいたことが、命名の由来だ。

 主に遊撃と三塁を守った現役時代はテッド・ウィリアムズと同僚。監督、コーチも務めて半世紀以上もレ軍に身をささげた。12年8月に92歳で亡くなったが「50年間、私がいけると予測した選手はたいてい活躍した」と話す姿が印象的だった。(奥田秀樹通信員)

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