大やけど克服の球児、阪神・メッセンジャーの激励を胸に感激の夏の大会初登板

[ 2020年7月23日 17:35 ]

夏季京都府高校野球ブロック大会2回戦   京都共栄7―2綾部 ( 2020年7月23日    あやべ球場 )

大やけどから立ち直り、夏の大会で初登板した京都共栄・三木(23日、あやべ球場)
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 規定で最終回の7回裏2死となって、左腕・三木慶太(3年)に声がかかった。5―0とリードした4回表に神前俊彦監督(64)から「最後のアウトを君にあげるよ」と予告されていた。

 マウンドに上がった三木は「ここまで緊張するのか」と言うほどぎこちなかった。3年最後の夏、ようやく巡ってきた夏の公式戦初登板だった。

 2013年8月15日、小学5年生の時、爆発事故に巻き込まれた。毎年行っていた地元福知山市の花火大会。家族らと河川敷にいると「シュー」と何かが噴き出す音がした。振り返ると約10メートル先の屋台で「ドーン」と爆発が起きた。熱風でTシャツが溶け、腕が焦げていた。3人が死亡、55人が重軽傷。福知山屋台爆発事故である。

 体の4割にやけどを負った。集中治療室(ICU)での治療が続いた。入院は6カ月に及び、皮膚の移植手術は数回受けた。痛みは激しかった。

 高校進学時「野球も勉強もできる」と京都共栄を選んだ。ただ、野球部入部はためらった。4月末になり、思い切って神前監督に「やけどしていても入れますか」と申し出た。「君が頑張れば、いろんな人に勇気を与えられる。自分が楽しみたければ入っておいで」

 そんな思いを当時阪神のエース、ランディ・メッセンジャーが知った。18年7月、三木を取り上げたインターネット上の記事をヴァネッサ夫人が翻訳ソフトで訳して伝えると「ケイタを勇気づけたい」と思い立った。8月、サイン入りユニホームや著書『ランディ・メッセンジャー~すべてはタイガースのために』(洋泉社)を贈った。著書には自筆で「キープ・セイム」(Keep Same)、つまり「どんな状況でも同じことを続ける」、さらに英語で「努力し続けることだ。幸運は努力家に訪れる」とメッセージを添えた。

 10月6日(DeNA戦)には甲子園に招かれ、クラブハウス内で直接激励を受けた。

 あれから1年半。コロナウイルスの感染拡大で活動が休止となった。自宅近くの公園で壁当ての投球練習や、自宅庭にネットを立ててのティー打撃など、自主練習が続いた。「こんな時こそ“キープ・セイム”なんだと思った」。

 だから目標だった夏の甲子園大会中止が決まっても「やることは変わらない」。あいさつや掃除、ごみ拾いなど、メッセンジャーが言っていた「普段の私生活もしっかりしようと過ごした」。

 そうして巡ってきた代替大会の初登板だった。7回裏2死一塁。最初の打者に四球を与えた。タイムがかかり、神前監督からの伝令を丸山虎之介(3年)が伝えた。

 「キープ・セイム」

 マウンドに集まった内野陣はみんな思わず、笑った。主将・遊撃手の沢田遼太(3年)は「はい。笑い合いました。だって、こんな時まで“キープ・セイム”なんだって」。三木がメッセンジャーから受けたメッセージはチームの合言葉となっていた。グラウンドの監督室前のボードにもマジックで大きく書かれていた。

 三木も笑った。「あの“キープ・セイム”で少し緊張が解けた」

 地元紙が2日前に書いた自分の記事がネット上に掲載されると、コメント欄に「勇気をもらった」など激励が相次いだ。「そんなに応援してもらっているんだ」と自らを奮い立たせた。

 次打者には暴投もあり、四球で満塁。それでも、最後はスローボールで左飛に打ちとった。勝利の瞬間、本物の笑顔が弾けた。

 「ここまで緊張するとは思わなかった。でも、これが自分の目指していた舞台だし、こういう緊張が夏大なんだなあって。だから、楽しかったんだと思います」

 独特の緊張感を味わえたのも、大切な経験になった。勇気を与え、与えられ……人生模様が詰まった三木の、そして京都共栄の夏が始まった。 (内田 雅也)

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2020年7月23日のニュース