無謀な夢に見えても…名古屋大初のプロ野球選手を生んだ監督のサポート

[ 2019年11月4日 20:38 ]

2019年度愛知大学野球秋季リーグ 2部3部入替戦   名古屋大8―6名古屋経済大 ( 2019年11月4日    パロマ瑞穂 )

<名古屋経済大・名古屋大>2部昇格を決め服部匠監督(手前)とガッチリ握手を交わす名古屋大・松田亘哲
Photo By スポニチ

 中日に育成ドラフト1位で指名された名古屋大のエース左腕・松田亘哲(ひろあき)投手(4年=江南)が4日、1勝1敗で迎えた名古屋経済大との入替戦に先発。9回163球を投げ6失点(自責0)で18年春以来4季ぶりの2部昇格に導き、去りゆくチームへ最高の置き土産を残した。松田は試合後、4年間見守り続けてくれた恩師の服部匠監督(53)と、ガッチリ握手を交わした。

 硬式野球の経験がなかった左腕のプロ入りが実現したのも、本人の努力はもちろんのこと、服部監督がいたからこそだったのかもしれない。まだリーグ戦でもほとんど登板がなかった1年時からプロを志望していた松田の本気度を真正面から受け止めた一級建築士の資格を持つ指揮官は、給与の発生しない大学野球部OB。時には自らの車で松田を大阪や兵庫まで連れて行き、本格的にプロから注目されるようになった今夏以降は自ら切り盛りする建築設計室の業務を抑えてまで、教え子の夢の実現に奔走した。

 一見、無謀にも見えた松田の挑戦は、服部監督の経歴にも通ずるところがある。大手建設会社を37歳のときに退職。会社員としてエリート街道をまっしぐらに突き進んでいたころ、自らの夢のために独立した。仕事は何とか軌道に乗ったが「全部、新規のお客さんでした。何のアテもなかったんです」と述懐する。だからこそ、松田の挑戦に自らの若い頃の姿を重ね合わせた。

 「チャンスが少しでもあるなら、チャンスがあるときにやらせてあげたい」が監督としての信条。「野球では怒らない」というが、松田が3年の時、ある試合後のミーティングで「点が取れなかったから…」と松田が野手陣や采配批判とも取られかねない発言をしたことで、別室に呼んで1対1で話をしたこともある。松田本人にそのような意図は微塵もなく「あのときの松田は本当に子どもだった」と振り返るが、この日の投球を「精神的にも本当に成長した」と手放しで褒め称えた。最近は10月17日のドラフト当日の、会場での「中日 松田亘哲 投手 名古屋大学」のアナウンスの映像を見ながら一杯やるのが至福の瞬間。次の夢はもちろん、名古屋大からの2人目のプロ野球選手輩出だ。

続きを表示

2019年11月4日のニュース