運命の交錯

[ 2018年11月14日 08:30 ]

 【我満晴朗のこう見えても新人類】1984年春に都内の洋書店で購入したMLBプレビュー号を自宅の書架から引っ張り出してみた。ヤンキースのスプリング・ロースターにはドン・マッティングリーの名が外野手部門に刻まれている。34年後、つまり今年の日米野球でMLB選抜チームを率いている、その人だ。

 メジャー2年目だった前年の83年には91試合で打率・283ながら4本塁打、32打点と、さして際立った成績ではない。当時の立ち位置としては、数多くいる若手プロスペクトの1人といったところか。

 などと邪推しながらロースターを見返すと、ある意味驚愕(きょうがく)の事実に気ついた。

 投手=マット・キーオ

 内野手=レックス・ハドラー、マイク・パグリアルーロ

 外野手=ブライアン・デイエット、オレステス・デストラーデ、マット・ウインタース

 後に日本球界入りする選手がなんと6人もいるではないか。ついでながらコーチ陣の1人はロイ・ホワイト。こちらは巨人で3年プレーした後、古巣復帰し2年目だ。

 うん? あれ? もしかして…。少々心に引っかかるものがあったので調べてみると、マッティングリーはこの年4月に23歳の誕生日を迎えていた。そして翌5月に22歳となったのは、あのデストラーデ。ともに一塁も守れる左打ち(デストラーデは両打ち)だ。典型的なライバル関係とも言えよう。

 で、このシーズン。マッティングリーは154試合に出場し・343、23本塁打、110打点をマーク。ゆえに名門球団のレギュラーの座をがっちり獲得した。当時の背番号は46だったが、後に23に変更。それがチームの永久欠番になったのだから、栄光のキャリアをスタートさせたことになる。

 対するデストラーデ。84年は結局通年マイナー暮らしで、メジャーに昇格するのは87年まで待たねばならなかった。だかしかし! 西武に所属した89年からの4シーズンで160本塁打をかっ飛ばした「カリブの大砲」は筆者も含め日本のファンに強烈な印象を残している。忘れられない選手の1人だ。

 もうろうとした感慨に浸りながらヤンキースの隣に掲載されているブルージェイズのメンバー表に視線を移すと、外野手にはジェシー・バーフィールドに加えロイド・モスビーの名が…。ああ、ここにもいたんだね。

 日米野球とは全く関係なく、秋の夜長に古い資料を楽しんでいる。(専門委員)

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2018年11月14日のニュース