【鳥取】地元の球児が地元の誇りになった…八頭に見た高校野球の原点

[ 2018年7月20日 08:00 ]

第85回大会2回戦   八頭2―3静岡 ( 2003年8月18日    甲子園 )

<八頭・静岡>4回表、マウンドにナインを集め伝令として指示を出す山田武主将(左から3人目)
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 100回を迎えた夏の高校野球。創世期から鳥取西、米子東の古豪が支え、関西からの野球留学が全盛の私学時代が過ぎた中で、平成になって最も多く鳥取代表の座を勝ち取っているのが県立の八頭だ。参加二十数校の全国最少の弱小県。山間部の公立高で寮などはなく、地元の学生のチームは地域の誇りでもある。

 2003年は1回戦で小山に逆転勝ちして1994年以来の初戦突破。2回戦で静岡と対戦した試合には、高校野球の原点を見る思いがあった。ナイターで行われた第4試合。静岡の大応援団でアルプス席、内野席はあふれかえっていた。4回の表裏に両チームは四球、犠打、適時打と同じ形で1点ずつを取り合い、8回も静岡に1点勝ち越されながら、八頭がすぐに追いついた。だが、9回。エース河野晃慶は死球で出した走者を二塁打で還され、決勝点を与えた。一人で投げ抜いた166球の力投は報われなかったが、選手層の薄い田舎の公立高校が伝統校に挑んだ試合と、地域をあげての応援に拍手を送りたい気持ちだった。

 開会式で主将の山田武が行った選手宣誓には「地域の温かい声援」の文言があった。高校野球が地域に支えられていることへの感謝を聞いた瞬間に、いい試合をしてもらいたいと思った。ベストゲームを期待していた。

 個人的なことを書くと、この試合の指揮を執った藤原文夫監督は母校の教師で同級生。当時33歳の青年監督だった。

 ◆荻原 浩人(東京本社写真部)95年入社。鳥取県出身。八頭では柔道部。高校野球はPL学園の大ファン。

 <鳥取データ>

夏の出場 72回(通算38勝72敗)

最高成績 4強5回(鳥取一中=1916、20、24、29年、米子東=56年)

最多出場 鳥取西(23)

最多勝利 鳥取西(23)

出場経験 11校、うち未勝利4校

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