【静岡】史上最高の二塁手から提言 ミスがあるから美技が生まれる

[ 2018年7月4日 10:00 ]

今でも健在!町田さんが魅せる逆シングルハンドからのグラブトス
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 第100回全国高校野球選手権記念静岡大会の開幕まであと3日に迫った。大きな節目の夏はどんなドラマが生まれるのか。「史上最高の二塁手」と評され、数々の美技でプロが選ぶベストナインに過去3度選出されたのが常葉菊川(現常葉大菊川)出身の町田友潤二塁手(28)だ。“世紀の大会”に挑む球児たちへの提言など熱く語ってもらった。(構成=小澤 秀人)

 ――いよいよ100回大会が開幕します。

 「楽しみにしていますし、ぜひ母校の試合は観戦したいですね」

 ――今年は取材の数も多かったと聞いています。

 「声を掛けていただくのは凄くうれしいです」

 ――高校野球から10年離れた今でも輝けるなんて、そうはいないですよ。

 「小さい頃、横浜の松坂投手(中日)を見ていた感覚なんですかね。ただ、僕はそんな立派なもんじゃないですけど(笑い)」

 ――高校球児は今でも町田さんがいる「二塁へ打ったら望みはない」などとユーチューブを見て勉強しています。

 「僕は“何でだろう”という思いですが、本当にうれしいです」

 ――実際に自分の動画を見たことは?

 「ないです。自分に興味がないんです。“史上最高の二塁手”と言われても、僕にとってはもっと凄い二塁手がいたので」

 ――誰ですか?

 「同じ年なら横浜の松本幸一郎選手(東芝)、年上なら早大時代の上本博紀さん(阪神)ですね」

 ――とはいえ4度の甲子園でボールに触った回数113回、直接捕球は66回、失策は悪送球のわずか2回。併殺も14回完成させた数字は凄すぎます。

 「初めて知りました。数字になると実感しますね」

 ――度重なる美技で投手陣を救ってきました。思い出のプレーは?

 「3年夏の大阪桐蔭戦。ゲッツーは取れなかったんですが、突っ込んで打球を処理して体を(反時計回りに)回転させて二塁へ送球しようとした時に酒井(遊撃手)が視界にいなくて“やばい”と思ったんです。感覚で投げたらアウトにできました。積み重ねてきたものが出せたと思えたんです」

 ――そんなプレーを求めて高校球児が町田さんをリスペクトしています。上達への近道は?

 「生きた打球を捕るのが一番です。バッティングの打球は全部決まったバウンドではないし、イレギュラーもする。それに練習はエラーをしてもいい。消極的なプレーで成功してほしくない。前に突っ込んでミスした方が後々緊迫した場面で生きます」

 ――当時の森下(知幸)監督(現御殿場西監督)の存在も大きかった?

 「凄い人。あの人がいなかったら今、ここで取材を受けていません(笑い)。ノックはきつかったんですが、“人のせいにするな”というのが森下先生の教え。グラウンド整備も他人に任せず自分でやりました。野球も人生も何が起こるか分からない。だから今できる準備をしっかりやることが大事なんです」

 ――今後を背負う球児への提言はありますか?

 「一つは自分が主役となってプレーしてほしい。見られると気持ちが高ぶるし、その中で力を発揮することは大事なこと。もう一つはユーチューブでもいいからプロの試合を見てほしい。僕はヤンキース時代のロビンソン・カノが大好きで、いつも“何であそこからあんなボールが投げられるのか”と考えながら見ていましたね」

 ――向上心があるから感覚的なプレーにつながったんですね。

 「そうですね。自主練の中でいいので、遊び感覚の中から学びつかんでほしい。僕の動画を見ているんだったら、僕もたくさんエラーをしてきたことを覚えておいてください」

 《「子供好きが生かされています」療育施設運営》現役時代はチビっ子たちから絶大な人気を誇った。選手通用口に大勢の“出待ち”は当たり前。「女性より子供が来てくれることがうれしかった」と振り返り「今の仕事は子供好きが生かされています」と明かす。ハンデのある小学1年〜高校3年の児童や生徒たちを対象に、親が仕事中の合間に相手などをする療育施設「グリーピース」を浜松市内で立ち上げて1年強になる。

 きっかけは07年センバツで日本一の直後、菊川市内で親子連れから記念写真を頼まれたこと。会話を交わした男子に障がいがあり「自分が野球で勇気づけられているうちはプレーを頑張って、現役でいられなくなったら直接貢献できることをしたいと思っていました」と振り返る。エネルギーが必要な仕事にも「楽しい」と笑顔は絶えない。

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2018年7月4日のニュース