“教え子”岩瀬、星野氏追悼試合で1回零封「このユニホームは重たかった」

[ 2018年3月4日 05:40 ]

オープン戦   中日2―9楽天 ( 2018年3月3日    ナゴヤD )

背番号「77」のユニホームで力投する岩瀬
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 中日は選手、監督として活躍し、1月4日に70歳で急逝した星野仙一氏をしのび、3日の楽天とのオープン戦を追悼試合として開催した。監督、選手は背番号20、胸番号77のユニホームを着用。ナゴヤドームの外に設置された献花台には多くのファンが手を合わせ、試合前には両軍が黙とうをささげた。教え子で球界最年長の岩瀬仁紀投手(43)は1回無失点に抑え、手向けの好投を届けた。

 燃える男の気迫を背中にまとい、闘将の魂を胸に抱いた特別な一戦。入団1年目から3年間、星野氏の下で学んだ岩瀬は7回にマウンドに立った。

 「やっぱり、このユニホームを着たら重たかった。その分しっかり投げようと思った」

 先頭打者の岡島に中前打を許した後、内田を中飛に取り、下妻を三ゴロ併殺打に仕留めて1回を無失点。「しっかり投げられて良かった」と息を吐いた。

 昨季達成したプロ野球最多登板記録につながる救援投手としての適性を見いだしてくれた恩師を弔うため、実は先発での登板を首脳陣に志願していた。他の投手との兼ね合いもあって残念ながら実現はせず、「野球に対してとにかく厳しい方だった。勉強させてもらった」としのんだ。

 高卒入団から闘将の下で猛練習に励んだ荒木は「9番・二塁」で先発して2三振。振るわなかった結果が若き日の記憶を呼び起こした。「結果を出したかった。まず最初の見逃し三振で怒られて、次に悪球を振って怒られる。怒られっぱなしの一日と思いながらやった」と当時の熱血指導を懐かしんだ。

 白星は届けられず2―9の大敗。キャンプを通じて今春の日本球団との対戦は1勝5敗になり、森監督はつぶやいた。「仙さんが私に何を言いたいかは2つ。“何をやってんだ”ということと“シゲ、体には気をつけろよ”ということ。今日の試合で反省したことを述べて、お別れしてくる」。5年連続Bクラスからの脱却には今こそ闘将イズムが必要だ。(徳原 麗奈)

 ▽星野仙一氏と中日

 【投手】明大から68年ドラフト1位で入団。3年目の71年に背番号22から中日のエースナンバー20に変更。先発、救援問わず活躍し、15勝10セーブの74年は巨人のV10を阻止しリーグ優勝。最多セーブと沢村賞も獲得。82年引退。通算500試合146勝121敗34セーブ、防御率3・60。

 【監督】86年オフの就任直後、4対1のトレードで落合博満を獲得するなど大胆な補強を断行。87〜91年と96〜01年の計11シーズンでAクラス8度。88、99年にリーグV。97年に開場したナゴヤドームで最初に指揮を執った。通算1461試合766勝668敗27分け、勝率・534。

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