「また来年」と言い合う阪神ファン タイガースは心のふるさとか

[ 2016年9月24日 10:00 ]

シーズン終盤の甲子園球場ライトスタンド。阪神ファンは「来年がある」と語り合う(2016年9月15日、DeNA戦)

 【内田雅也の広角追球】毎年シーズン終盤のこの時期になると、阪神ファンの間で交わされる会話がある。

 「今年もあかんかったなあ」「まあ、でも楽しませてもろうたで」「来年があるわ」

 阪神ファンはまるで負けを楽しんでいるかのようだ。負けてばかりだが愛想を尽かさず、他チームに鞍替えなどしない。

 忍耐力がいる。期待しては負け、落胆しては期待する。そして、また負ける。「出来の悪い息子ほどかわいい」という親心に似る。「しゃあないな」と許してしまう。

 負ければ球場への足も遠のくが、阪神はその落ち込み度合いが少ない。

 9月10日、神宮が大入り満員(観衆3万558人)になったのには驚いた。土曜日だが4位と5位、クライマックス・シリーズ(CS)出場の可能性もほとんどなくなっていたカードである。

 ヤクルトの営業担当者によると「毎年最後の阪神戦は入るんですよ」。その日は首都圏(東京ドーム、神宮、横浜)で行われる最後の阪神2連戦だった。「最後だから関東の阪神ファンが集まってきて、お別れを言うのでしょう。“また来年”という感じでしょうか」

 その名も『来年があるさ』(ベースボール・マガジン社)という本がある。ニューヨークの下町ブルックリンに本拠地があった1950年代のドジャースファンが描かれている。少女のころから本拠地エベッツ・フィールドに通ったドリス・カーンズ・グッドウィンの自伝的小説である。

 あと一歩でリーグ優勝を逃し、ワールドシリーズに出てもヤンキースに負け続けた。勝負弱かったナインを「ダメなヤツら」と呼びながら、秋にはこのセリフを吐き、チームを、そして自分たちを励ましてきた。

 アメリカには「野球では、勝てば栄誉が得られ、負ければチーム愛が生まれる」といった言い方がある。その愛情は「ダメ虎」と呼びながら許す親心と共通している。

 俳優・渡辺謙が「宗教」「阪神タイガース教の信者」を自任するように、阪神に自己を投影し、その戦いぶりに心を寄せる人びとがいる。

 1935年(昭和10)創設され81年目。時代は移り変わった。だがファンが求めるものは時代を超えている。

 先日、外電で作家W・P・キンセラの訃報が流れた。あの美しい野球映画『フィールド・オブ・ドリームス』の原作『シューレス・ジョー』(文春文庫)を書いた。

 映画で作家テレンス・マン(小説ではJ・D・サリンジャー)が主人公の農場主レイに語りかける。「長い年月、変わらなかったのは野球だけだ。アメリカは驀進(ばくしん)するスチームローラだ。すべてが崩れ、再建され、また崩れる。だが、野球はその中で踏みこたえた」。古き良きもの、変わらぬものへの郷愁がある。

 同じことが阪神にも言える。元帝塚山学院大学長で大阪文化に詳しい大谷晃一が『大阪学 阪神タイガース編』(新潮文庫)で<タイガースは日本人の心の故郷(ふるさと)>としている。

 <高度成長の中、みんな大都会に憧れて出て行った。振り返れば、故郷もあの懐かしい故郷の姿ではない。(略)ミニ東京と化してしまった。みんな、心を寄せるべき場所をなくしてしまったのである>。そんな時、タイガースがあった。<そういう人びとの心の故郷に、阪神タイガースがなれるのではないか>。

 なれる、と書いておきたい。「また来年」と誓い合い、球場に集う人びとがいる。希望を与え続けるチームでありたい。阪神が果たすべき使命である。(敬称略、編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや)1963年2月、和歌山市生まれ。小学校卒業文集『21世紀のぼくたち』で「野球の記者をしている」と書いた。桐蔭高(旧制和歌山中)時代は怪腕。慶大卒。85年入社以来、野球担当一筋。大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』は10年目。昨年12月、高校野球100年を記念した第1回大会再現で念願の甲子園登板を果たした。

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