阪神・福原 涙の引退会見 虎一筋18年「強いタイガースを」

[ 2016年9月24日 05:30 ]

引退会見中、涙を拭う福原

 阪神・福原忍投手(39)が23日、兵庫県西宮市内のホテルで会見し今季限りでの現役引退を発表した。1998年にドラフト3位で入団し、2度のリーグ優勝を経験すると同時に右肩手術など山あり谷ありの猛虎一筋18年間を涙ながらに振り返った。現時点で今季最終戦となる10月1日の巨人戦(甲子園)で引退セレモニーが行われる。今後は、球団から2軍投手コーチの就任を要請されており、決断次第で指導者としての道を歩むことになる。

 福原が引退会見の正装として選んだのはスーツではなく、苦楽が染み込んだタテジマだった。球団投手では史上最長となる阪神一筋18年。現役引退を表明すると、第一声から、あふれる涙をこらえきれなかった。

 「私、福原忍は今シーズンを持って…、現役を引退します。いろいろな方に支えられて、18年間、現役を続けることができました。感謝しています。みなさんに支えられた、野球人生でした」

 ともにリーグ優勝を経験した先輩の下柳剛氏、矢野作戦兼バッテリーコーチ、寄り添った夫人、子どもたちにも相談し、悩み抜いて出した結論だった。

 「迷っていた部分はあったが、8月くらいから考えるようになった。“まだ、できる”という気持ちと…。日々、入れ替わった。こだわってきたストレートで空振りを取れたと思ったボールが本塁打されたという部分もある」

 引き際と決めると広陵の先輩で現役時代をともに戦った金本監督に、引退を申し出た。

 「少し前に伝えました。本当にチームの力になれなくて、監督の力になれなくて。現役でも一緒にやらせてもらって、高校も一緒ですし。なんとか監督を胴上げしたいと思っていた。(金本監督からは)“お疲れさん”と声をかけてもらって、本当に感謝しています」

 入団当時の監督だった野村克也氏の言葉を原点とした。「入団当初に野村監督から“投手の原点、それを練習しなさい”と言われた言葉が心に残っている。その球を今でも練習しています」。

 衝撃の一つは入団1年目のプロ初登板。開幕戦だった99年4月2日巨人戦(東京ドーム)で対戦した高橋(現巨人監督)に満塁本塁打を浴びた。「あの本塁打があったから頑張れたと思います」。反骨心が福原の野球人生の土台にはあった。かつて江夏が付けていた背番号28に「すごい番号で重い番号。なんとか恥じないように」と常に重圧を感じながら全力で走り続けた18年間だった。

 唯一やり残したことは後輩に託す。「日本一にはなれなかった。ぜひ日本一になってほしい。そのためにしっかり練習してほしい。強いタイガースを作ってほしい」。目を赤く染め、声を震わせ、大粒の涙をこぼした約15分の会見。最後、仲間にバトンを手渡す言葉を語りかけた瞬間だけ、福原は笑った。 (湯澤 涼)

 ▼阪神・金本監督 先発、中継ぎとタイガース一筋で(頑張った)ね。肩の手術もして、その後は良い投球をしながら、なかなか勝ち星が付かなくて…。現役を一緒にやっているけど、申し訳ないなと思ったのをよく覚えている。

 ◆福原 忍(ふくはら・しのぶ)1976年(昭51)12月28日生まれ、広島県出身の39歳。広陵では甲子園出場なし。東洋大を経て98年ドラフト3位で阪神入り。ルーキーの99年は救援で10勝9セーブ。先発に転向し06年に自己最多12勝をマーク。10年から救援に再転向し、11年から5年連続で50試合以上に登板。14、15年は最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。1メートル80、96キロ。右投げ右打ち。

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